高尾響(広陵)の(身長・球速)プロフを紹介!強心臓のルーツは家族

‎【ドラフト注目】広陵:高尾響のプロフィール!(身長・球速)強心臓はルーツは家族!.

広陵高校エースの高尾響選手。

2年生ながら最速152キロをマークし、2024年度のドラフトからも注目を浴びています。

今回は、

  • 高尾響選手のプロフィール
  • 出身中学・小学校
  • 強心臓のルーツ

について紹介して行きます。

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高尾響(広陵)のプロフィール(身長や出身地)

広陵:高尾響

参照:Yahoo!ニュース

  • 名前:高尾響
  • 呼び方:たかお ひびき
  • 生年月日:2006年5月22日
  • 出身地:福岡県糟屋郡
  • 身長:172cm
  • 体重:70kg
  • 高校:広陵高校
  • ポジション:ピッチャー
  • 背番号:1
  • 最速:152キロ

高尾響選手は、福岡県糟屋郡粕屋町出身の広陵高校2年生の投手です。

身長:172cm、体重:70kgと体格的にはそこまで大きくありませんが、 中学時代には球速143キロをマークしていました。

広高尾響(広陵)の出身中学

高尾響投手の出身中学は、粕屋東中学校(福岡県)です。

粕屋東中学校がある粕屋町は、人口約48000人、九州地方の町村としては人口が最も多い街です。

高尾響選手は中学校の部活動には参加せず、飯塚ボーイズに所属していました。

飯塚ボーイズは、プロ野球選手、髙濱祐仁選手(阪神タイガース)、浅田 将汰(元横浜DeNAベイスターズ)が所属していた飯塚市の名門チームです。

2023年第53回春季全国大会に全国から43チームが出場した大会にベスト8という好成績を残しています。

中学2年生時の身長は167cmでしたが、3年生で172cmまで伸び、球速も夏の日本選手権大会では140kmの大台まで乗せました。

「高校野球ドットコム」のインタビュー動画にて、広陵高校での意気込みを聞かれると、

「高校では1年生からレギュラーをとって、少しでも多く投げられるように腕を振って、 自分の目標である150キロを目指して頑張って行きたいです。」

参照:高校野球ドットコム

と語っています。

このインタビューで語っていた

  • 1年生からレギュラーを取る
  • 150キロを計測する

という目標をすでに実現しています。

そのまま実戦で結果を残し、春の中国大会で背番号「1」を渡された。広陵を率いて30年以上で、春優勝2回、夏準優勝2回の中井監督も「 初めて」という入学後約2カ月でのエースの誕生だった。

広陵のエース高尾響が「152キロ」をマークし、球場をどよめかせた。

参照:ヤフースポーツ

中学時代に立てていた目標を高校2年生で叶え、現在、夏の甲子園で活躍し、来年度のプロ野球からも注目を浴びています。

広陵のボンズ:真鍋慧選手とともに投打の柱として、優勝を目指して欲しいですね。

ちなみに中学の時の影響で「バレーボール」も好きだそうですよ。

高尾響(広陵)の出身小学校

高尾響選手の糟屋郡中央小学校です。

高尾響選手といえば、広陵高校の長い歴史で初めてとなる1年生春から背番号1を背負い、どんなピンチでも物怖じしないピッチングが持ち味で強心臓の選手です。

試合に敗れても泣いたことは一度もないそうで、その強心臓は

「小学6年で弱気が原因で打たれた時に、この弱い気持ちに勝たないといけないと気付きました」

参照:Yahoo!ニュース

がきっかけだそうです。

小学校の時の悔しい経験が、今の高尾選手の強心臓を生み出しているんですね。

高尾響(広陵)の家族構成

高尾響選手の家族構成は、父・母・4人の兄の7人家族。

父親は高尾大輔さん(48、49歳)です。

母親・4人兄弟に関する情報はみつかりませんでした。

高尾響選手といえば、1年生の春から背番号1を背負い、どんなピンチでも物おじしない強心臓が持ち味ですが、そのルーツは「家族」にあります。

2022年の秋季広島大会後に右足の疲労骨折が判明。

疲労骨折した際に、父:大輔さんは、

「せっかく背番号をいただけたのだから、もしも投げられると言うのであれば、痛み止めを飲んででも投げればいいんじゃない?」

参照:Yahoo!ニュース

といったそうです。

本人も、広島大会後の中国大会で「投げます」と強い意志を示していました。

普通であれば、骨折という大きな怪我をしていたら、心配で息子の出場を止めると思いますが、息子の意志を尊重して、止めるのではなく、「投げたらいいんじゃない?」と背中を押してあげる父:大輔さんの思いは素晴らしいなと個人的に思います。

高尾響(広陵)はなぜ1年生から背番号1を背負ったのか

ここまで、紹介してきましたが、高尾響選手は高校1年生の春から背番号1を背負っています。

広陵;中井哲之監督がチームを率いて30年以上で「初めて」という入学2ヶ月でのエース誕生でした。

では、なぜ、1年生で背番号1をつけることができたのか。

そのきっかけは、広陵高校恒例の「肝試し」。

「肝試し」とは、チームの上級生との練習試合のことで、多くの1年生は緊張してしまうところ、高尾選手は上級生相手に真っ向勝負をし、結果を残します。

その後の実践でも結果を残し、当時エースナンバーを背負っていた森山森山陽一朗選手や内海優太選手がいる中で、背番号1に抜擢されます。

中井監督が高尾選手を背番号1に抜擢した理由について、

「実力なので」

「3年生が認めている。紅白戦や打撃練習をして(広陵のレギュラー陣が)一番打てない投手が高尾だった」

「上級生の投手たちに『悔しくないんか?頑張れよ』と。付き合ってきた年数が違うし、3年生がかわいいのは当たり前のこと」

参照:朝日新聞

と、語っており、実力と上級生の奮起を促す狙いがあったようです。

また、上級生も悔しいという気持ちもありながら、高尾選手の実力は認めています。

高尾選手は「レベルの高い中で頑張ってみたかった」という思いで、広陵高校に進学しましたが、上級生とライバル関係で刺激し会える広陵高校の環境は高尾選手にとって最高の環境といえますね。

広高尾響(広陵)の最速球速は?

高尾響選手の最速球速は、152キロです。

全国高校野球選手権広島大会2回戦 大竹高校戦の3回にセットポジションから投じたストレートで152キロを記録しました。

これまでの最速が147キロで、本人は

「機械の不調だと思う」

参照:中国新聞

と冷静に振り返っていました。

この日のピッチングは、5回無失点・5者連続を含む毎回の8奪三振と圧倒的なピッチングを披露しました。

まとめ

ここまで、高尾響(広陵)選手について紹介してきました。

最後に本記事のまとめをして行きましょう。

  • 高尾響選手は広陵高校の2年生エース
  • 1年の春から1を背負う(中井監督が広陵30年を率いて初のこと)
  • 強心臓のルーツは家族
  • 最速は152キロ
  • 目標の選手はオリックス:山本由伸選手

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