森崎ウィンの両親はミャンマー人の大富豪?家族構成と生い立ちを追う

森崎ウィンの両親はミャンマー人の大富豪?家族構成と生い立ちを追う

歌手としても俳優としても大活躍の森崎ウィンさん。

俳優としては、ハリウッドデビューもしており、幅広い活躍をしています。

その顔立ちからハーフ?と思われる方も多いのですが、森崎ウィンは日本人ではないんです!

今回は、森崎ウィンの家族構成と生い立ちについて紹介していきたいと思います。

  • 森崎ウィンの両親はミャンマー人の大富豪?
  • 森崎ウィンの家族構成は?
  • 森崎ウィンの生い立ちを追う
目次

森崎ウィンの両親はミャンマー人の大富豪?

UTA-CONの楽屋前の森崎ウィン
引用:X(旧ツイッター)

森崎ウィンの両親はミャンマー人

森崎ウィンの両親はどちらもミャンマー人です。

森崎ウィンはミャンマーで生まれました。

そのため、森崎ウィンの国籍はミャンマーになります。

ご両親は出稼ぎのために、日本語がわからない状態で来日したそうです。

森崎ウィンの父親は料理人

森崎ウィンのお父さんが来日した際は、貿易系のお仕事をされていたそうです。

父は各国を巡る船の整備士と書いている記事もありました。

どちらも朝日新聞の記事なので、間違いなさそうですね。

その傍らで、飲食店のアルバイトもしていたようです。

出稼ぎとはいえ、働き者のお父さんですね!

その後、都内に自分のお店を開いています。

森崎ウィンの母も日本で出稼ぎをしていた

森崎ウィンのお母さんはウィンさんを産んですぐ日本に渡り、東京で事務の仕事をしていたそうです。

ウィンさんの両親はとても厳しい人だったようです。

特にお母さんの言葉は覚えていると森崎ウィンは話しています。

森崎 両親はとても厳しい人で、特に母からはいろいろなことを教えてもらったな、と思います。今でもよく覚えているのは、“ごめんなさい、ありがとうは言えるのが当たり前。言うタイミングを間違えないようにしなさい”という言葉。人との関係を築いていく上で相手のことをよく見て、考えなければいけないという教えは、今の仕事を続けていくためにも大切だなと感じています。

引用:ONTOMO

また、自分の国籍のことで悩んだ際もお母さんの言葉が響いたようです。

外国籍の人も多い芸能界でも難しさは感じた。日本人ならノービザで行ける国にも簡単に行けない。日本国籍があれば、と考えたこともある。でも、母に言われた。「国籍はとれるよ、紙で申請するだけだから。でも名前が変わり国籍が変わったところで、あなたの血は変わらない」

引用:朝日新聞

この言葉をきっかけに、自分のアイデンティティーに気付き、「これは俺の武器。俺にしかできない路線っていうのがきっとあるはずだ」と気づいたそうです。

森崎ウィンの両親は大富豪なのか?

それでは森崎ウィンの両親は大富豪なのでしょうか?

そもそもミャンマーの情勢が悪いことなどが原因で日本に出稼ぎに来ています。

ミャンマーよりも日本の方が稼ぐことができたそうです。

森崎ウィンはインタビューで”決して裕福ではありませんでしたが、日本でいうところの「普通の家庭」で、何不自由なく育ったと思います。”と話しています。

両親の仕送りもあり、貧しい生活ではなかったようですね。

大富豪というのはデマということがわかりますが、とても貧しい生活をしていたわけでもないようです。

森崎ウィンのお父さんが都内で自分のお店を開くことができたのは、本当に頑張ったからではないでしょうか。

森崎ウィンの家族構成は?

太陽のような笑顔がまぶしい森崎ウィン
引用:キレイノート

森崎ウィンは10歳離れた弟がいる

森崎ウィンには、10歳年下の弟がいるそうです。

弟が産まれた際に、ウィンさんも日本に移住しています。

そのため、ウィンさんは産まれはミャンマー、育ちも10歳まではミャンマーでした。

弟の方は、産まれはミャンマーで育ちは日本ということになります。

弟さんは、産まれてすぐに日本に来て、言葉を喋り始める頃には日本で生活していました。

もしかしたら、ミャンマー語よりも日本語の方が得意かもしれませんね。

自身も移住経験のある祖父母

おばあちゃんと過ごしたミャンマーでの子ども時代
引用:朝日新聞

森崎ウィンは、日本に移住するまでは、祖母に育てられたそうです。

祖父母はアメリカや日本での生活経験があったそうです。

そのため、ミャンマーでは珍しい英会話教室をやっていたそうです。

ウィンさんは、ミャンマー語と日本語のほかに、英語もしゃべれるそうなので、おばあちゃんの影響のようですね。

小さい時からいつも英語が耳に入ってきて、自然と体になじんでいったそうです。

森崎ウィンの生い立ちを追う

それでは、森崎ウィンの幼少期はどんな少年だったのでしょうか?

祖母に育てられた幼少期

先にも書いた通り、森崎ウィンは10歳までミャンマーで育ちました。

そして、おばあちゃんと一緒に生活していました。

僕はミャンマーで生まれて10歳まで過ごしました。両親はすでに日本に来て仕事をしていましたから、母方の祖母が僕の育ての親というか、母親代わりで、僕をひとり息子のようにかわいがってくれました。

引用:ヤマハ英語教室

おばあちゃんは、”曲がったことや筋が通っていないことに対しては厳しい人”だったそうです。

移住後の森崎ウィンは?

10歳で日本に移住した森崎ウィン。

最初の1年はすごく苦労されたそうです。

最初は日本語もわからなかったのですが、1年もすると不自由しなくなったそうです。

小さい頃からミャンマー語だけでなく、英語も聞いていたので、多言語の習得は向いていたのかもしれませんね。

森崎ウィンの日本語は、動画で聞いても本当に綺麗な発音でしたよ。

森崎ウィンYoutubeコメント
引用:Youtubeプリンスアイスワールド 【森崎ウィン コメント】(Youtube動画)

ミャンマーよりも日本で過ごした時間の方が長くなった森崎ウィンですが、日本のことをこう話しています。

旅行に行くとしたら、どんな場所に行きたいですか?

日本の田舎でゆっくりしたいですね。ミャンマーと日本の田舎はなんとなく似ていて、人がとてもあたたかいんです。ロケなどで地方に行くと、いろんな人が親身になって話しかけてくれたり、道を案内してくれたり。近場なら、箱根に一泊もいいなぁ…
海外だと、今はミャンマーに帰りたいです。ミャンマーにいる家族もいて会えていないので。それから、英語力を高めたくて、もし来年、海外に行けるなら英語圏に滞在できたらと思っています。

引用:キレイノート

ミャンマーと日本の田舎はなんとなく似ているそうです。

森崎ウィンは、”一年のはじまりに一人旅をするのが定番。そこで、自分自身と向き合い、去年を振り返りつつ、次の目標を立てる作業をします。”と話しているので、年始には日本のどこかに旅行に出かけてるのではないでしょうか。

また、たびたび帰国しているウィンさんですが、やはりミャンマーへの思いは強いようですね。

マルチリンガルでグローバルな活躍を続けるウィンさんは旅行好きのようです。

まとめ

今回は、「森崎ウィンの両親はミャンマー人の大富豪?家族構成と生い立ちを追う」について紹介してきました。

最後に、とても厳しいお母さんに対して、素敵な言葉を贈られているので、紹介します。

僕は日本に来た当時、どちらかというと「母に無理やり連れてこられた」という感覚だったのです。ミャンマーで祖母と何不自由なく暮らしていたし、友達もいる。やっぱり子どもは自分が慣れた環境にずっといたいですよね。でも、あの時、無理やりでも日本に来たから今の僕がある。だから、僕の世界を広げてくれた母親には感謝しています。実際に本人を目の前にすると、照れくさくてなかなか言えませんが(笑)。

引用:ヤマハ英語教室

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

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