東京オリンピックでは、ポイント獲得時の雄叫び『チョレイ』で一躍話題になった卓球の張本智和選手。
パリオリンピック2024への出場も決まっていて、日本卓球界では、メダルに一番近い存在と期待されています。
また、妹の張本美和さんのパリ五輪出場も決まっていますので、この夏に大注目の兄妹です。
そんな張本智和選手ですが、両親が中国人ですので、もともとは中国国籍だったのです。
日本・仙台生まれの張本智和選手ですが、なぜ?いつ?日本国籍に変更したのでしょうか・・・
今回は、卓球界の国籍変更事情も踏まえつつ、張本智和選手の国籍変更や生い立ちについて紹介します。
なお、張本智和選手は現在、早稲田大学にて学んでいますが、日本語・中国語・英語の3か国語を話すトリリンガルを育てたご両親の教育方針には頭が上がりません!
- 張本智和の両親は中国人!
- 張本智和が日本国籍に変更した経緯
- 張本智和の生い立ちは?
張本智和の両親は中国人!
引用:デイリースポーツ(左から父・宇さん、妹・美和さん、智和さん、母・張凌さん)
張本智和選手はもともとの国籍は中国でしたが、現在は日本に変更しています。
張本智和選手のご両親は、両方とも中国人で、来日して卓球のコーチ業をしていました。
ご両親は将来的に中国に戻る予定でしたが、張本選手はどうして日本に国籍変更したのでしょうか?
両親の出身は中国?プロ卓球選手なの?
張本智和選手の両親は、ともに中国で卓球のプロ選手でした。
お父さんは張宇(ざん う)さん、お母さんは張凌(ちゃん りん)さんと言います。
張本の両親は中国、四川省出身で、父親の張宇さん、母親の張凌さんともに中国のプロ卓球選手だった。張本は2003年6月27日に日本で生まれ、日本と中国の文化が交錯する環境で育った。2歳の時には母親からラケットをもらい、卓球を始めている。
引用:オリンピック
母親の張凌さんは、元中国代表選手で、1996年に引退しています。
世界大会での実績は多くありませんが、卓球大国の中国で代表選手になるだけでもトップレベルの選手だったことがわかります。
また、父の張宇さんは、国体の男子ダブルスで3位になった実績があります。
中国の”国体”は”中華人民共和国全国運動会”と呼ばれ、4年に1度開催される中国最大のスポーツイベントです。
その国体で、3位という成績を残しているということは、父親も中国国内でトップレベルだったことがわかります。
引用:Yahoo!ニュース(左:母・張凌さん、右:父・宇さん)
張本智和選手の両親が日本に来るきっかけは?
張本選手の父・張宇さんが来日するきっかけは、仙台のチームからの招待だったそうです。
中国出身で元卓球選手としても活躍した父・張本宇(はりもと ゆ)は、1998年、仙台ジュニアクラブのコーチとして招かれ、宮城県仙台市へやってきた。
引用:Number
海外からコーチを呼ぶのは、どの競技でもよくあることですよね。
卓球界では、中国からコーチを招待することが多くあります。
愛ちゃんでお馴染みの福原愛さんの専属コーチも中国出身の張莉梓さんが務めていたことが有名です。
全国の強豪チームは、年代やプロ・アマに限らず、多くの中国人コーチが在籍しています。
来日後、張宇さんは同じ四川省出身で卓球選手の張凌さんと結婚しました。
現在は、張本卓球場を開設して、ジュニア世代の育成に取り組んでいますが、当初は中国に戻るつもりだったそうです。
「こうして仙台で自分の卓球場を開くなんて。当時は、子供たちを教える気持ちだけで仙台に来ていたので、将来のことまでは考えていなかったんですよ」(宇さん)
父・宇にはいずれは中国に戻り、プロチームのコーチになるという目標があった。実際、中国のチームからは「戻ってきて欲しい」という話も何度かあったと話す。しかし、生活の基盤が仙台で出来上がったことで、その考えも少しずつ変化してきた。
そして2003年6月には張本が誕生する。
引用:Number
引用:ニッタク(仙台ジュニアクラブは全国でも強豪クラブのひとつ)
張本智和が日本国籍に変更した経緯
張本智和選手は、10歳(2014年)に帰化し、日本国籍に変更しました。
在日外国人の帰化申請は珍しいことではありませんが、なぜ張本選手は帰化したのでしょうか?
卓球選手の帰化事情なども見ながら、経緯をみていきたいと思います。
引用:テレ東
卓球選手の帰化事情は?
世界の卓球界のトップ選手を見てみると、中国出身の帰化選手がすごく多いんです!
世界選手権やオリンピックの出場国の選手を見てみると、ほとんどの国に中国出身の選手がいます。
それは日本も例外ではありません。
卓球界には、特殊な事情があるみたいです。
1950年代に卓球界で急激に頭角を現した中国。国技として国家的なサポートを受けながら、中国卓球は発展を続けた。卓球の用具にしても技術にしても、世界の卓球の発展と進化は中国が常にリードしてきた。
引用:卓球レポート
一時、強すぎる中国から代表になれない選手たちが世界中に拡散し、帰化選手として世界中の多くの協会の代表選手として国際大会や世界選手権、五輪に出場した。世界卓球の「中国化」を防ぐために国際卓球連盟(ITTF)は帰化選手の制限を厳しくした経緯がある。
卓球競技がオリンピック種目になったのは、1988年のソウルオリンピックからです。
大会によって各国から出場できる人数は異なりますが、男女最大で2〜3人です。
中国代表としてオリンピックに出場するためには、上位1〜3位になるしかありませんでした。
そのため、中国代表になれなかったトップクラスの選手たちが世界各地で帰化し、その国の代表になっていたのです。
16年リオデジャネイロ五輪では、出場した選手の4人に1人が香港や台湾も含めた中華系とも報じられた。国際卓球連盟(ITTF)によると、所属協会を変更した選手は今年5月だけで浜本を含め19人。このうち6人は中国からカナダやオーストリアに移った選手だった。
引用:産経新聞(2019年)
なお、これまでのオリンピックの団体戦は、男女ともに中国が4大会連続で金メダルを取っており、圧倒的な強さを見せています。
引用:卓球王国(リオ五輪の中国代表)
日本に帰化した中国人選手は?
日本でも、多くの中国人卓球選手が帰化しています。
その多くの人が、日本代表として活躍しています。
主な帰化選手はこちらです。
- 小山ちれ(何智麗)
- 東童多英子(趙多多)
- 高田佳枝(樊建欣)
- 羽佳純子(李雋)
- 偉関晴光(韋晴光)
- 新井周(周晅)
- 金沢咲希(満麗)
- 吉田海偉(宋海偉)
- 張一博
中には、中国代表として活躍したのち、来日して日本代表になった人もいます。
また吉田海偉さんや張一博さんは、高校生で移住し、その後帰化しています。
小山ちれさんの練習パートナーで来日していたのが、父・張宇だったそうですよ!
張本智和が帰化した理由は?
引用:スポニチ
多くの中国人卓球選手が日本に帰化していますが、張本智和選手の場合は少し事情が違います。
張本選手は、日本で生まれ日本で育ったのです!
張本選手の中国名は「張智和」で、下の名は日本名と同じ”智和”ですが、苗字の中国名は”張”で、日本語名は”張本”です。
張本智和選手は、両親が中国籍のままだったので、中国人として日本の学校に通っていました。
小さい頃から両親の影響もあり、卓球をしていた張本選手ですが、全日本出場が転機になりました。
人生を大きく左右する決断が迫られたのは、小学4年生の時。全日本選手権で「一般の部」に出場するには日本国籍が必要だった。いずれ中国に戻ってコーチになろうと考えていた両親にとっては複雑な心境だったという。だが、無邪気に卓球と向き合う息子の思いを尊重することに決めた。2014年、日本卓球界の推薦も受け、父、妹の美和とともに日本国籍を取得した。
引用:オリンピック
引用:日本卓球協会(帰化前の張本智和選手)2011年バンビ男子の部優勝
全日本選手権は、日本国内大会で最大の大会です。
全国の予選を勝ち上がってきた選手やプロ選手も参加する日本一を決める大会です。
この全日本選手権の一般の部に出場できるのは、日本国籍をもった「日本人」だけなのです。
全日本選手権には、年齢別のクラスもあり、張本智和選手は年齢別で6連覇を達成しています。
- バンビの部:小学2年生以下
- カブの部:小学4年生以下
- ホープスの部:小学6年生以下
ホープスの部を制覇した張本智和選手は、一般の部に挑戦し日本代表になるために日本国籍を取得しました。
(ホープス・カブ・バンビの部は、日本人以外も出場可能)
張本は、2014年に10歳で、父や妹とともに日本に帰化した。日本代表として五輪など世界舞台で戦うためだ。それまでは中国名の張(ザン)を名乗った。
引用:Yahoo!ニュース
なお、母・張凌さんは中国籍のまま、父・張宇さんと妹・張本美和さんが日本国籍になりました。
張本智和の生い立ちは?
元卓球選手の両親のもとに生まれた張本智和選手は2歳でラケットを握り始めたそうです。
小学4年生までは中国人として、それ以降は日本人として過ごしてきました。
張本智和選手は、学研のCMに起用されたことでも有名ですが、勉強の成績でも全国トップを取っているんです!
引用:学研
勉強でも全国1位!
2歳からラケットを握っていた張本智和選手ですが、意外にも勉強にもしっかり取り組んでいました。
張本選手はなんと、3歳から英会話教室に通っていたのです!
家では、両親と中国語で会話し、外では日本語で会話して育ったそうです。
日本語、中国語、英語の3か国語をしゃべれるトリリンガルは世界を相手にする今、かなり有利に働いていますね。
また、大好きな卓球を少しでもいっぱいやるために勉強を頑張っていたのだとか。
集中して机に向かい、早く宿題を終わらせる理由は、大好きな卓球を1分でも長くやるためだった。勉強の成績は優秀で、学研が主催する小学校全国共通テストでは国語と算数で計4回、全国1位になったというエピソードも残る。
引用:オリンピック
それでも、全国1位の成績を取れるのは、すごいですね!
勉強に対しても、卓球に対しても、その集中力が張本智和選手の強さではないでしょうか?
張本選手の勉強への取り組みは、お母さんの教育方針が大きいようです。
中国代表として活躍した母・張凌さんですが、智和さんには、卓球だけの人間にはなって欲しくなかったのです。
そのため、卓球よりも勉強、勉強よりも自身の健康を大事にさせました。
勉強に関しては、卓球の遠征中にも、勉強をしたかどうかを確認するほどでした。
小学生時代は、テストの点数はほぼ100点。凌と宇は、海外遠征も夏休みなどに絞り、学校を休ませなかった。
文武両道を貫かせる母の姿勢は、連日の快進撃で日本に張本フィーバーを巻き起こした世界選手権期間中でも変わらなかった。ドイツから「勝ったよ」と張本が電話で報告すると、凌はこう返した。
「良かったね。ところで、今日は勉強しましたか?」
帯同していた宇は「ドイツに来てまで? って呆れた」と思い出し笑いする。
引用:Yahoo!ニュース
早稲田大学人間科学部(通信教育課程)に入学
張本選手は日本大学高等学校を2022年3月に卒業し、同年4月早稲田大学人間科学部(通信教育課程)に入学しました。
世界を転戦する必要があるために、通常の学部では出席が足らず卒業が難しいため通信課程なのでしょうね。
それでもTOPクラスの私立大学に入学して、学びを継続するのは簡単なことではないと思いますよ。
張本智和の両親は中国人!日本国籍に変更した経緯と生い立ちを紹介【まとめ】
今回は、張本智和の両親についてと、日本国籍に変更した経緯を紹介してきました。
最後にまとめです。
- 張本智和の両親は中国人で卓球選手
- 張本智和の両親は卓球のコーチをするために来日した
- 張本智和は小学4年生で日本に帰化した
- 張本智和は、卓球だけではなく勉強でも全国一位
このままでは、オリンピックに出場する選手の多くが中華系の帰化した選手になるのでは?と感じています・・・
最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
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