2024年夏季パリオリンピックでの金メダルが期待された三重県四日市市出身の藤波朱理(ふじなみあかり)選手。
これまでの伊調馨さんや吉田沙保里さんの功績もあり日本は世界一のレスリング強豪国となっています。
その吉田沙保里【霊長類最強】2世と呼ばれているのが、藤波朱理選手です。
パリオリンピックでは見事に金メダルを獲得して連勝記録を伸ばし、137連勝中です!
藤波朱理選手は中学2年の6月から公式試合で無敗の連勝記録を伸ばし、吉田沙保里の連勝記録を超えています!
その戦績連勝街道はコーチを務めるお父さんとともに二人三脚で歩んできました。
また、藤波朱理選手は2017年6月から負け知らずなのに、東京オリンピックには出場していません・・なぜ??
信じられないことに、代表選考の年齢制限でオリンピックの出場資格を得ることが出来なかったのです!
今回は、レスリング・藤波朱理選手とコーチを務める父・俊一さんについても調査していきます。
- 藤波朱理は父のコーチで連勝記録中!
- 藤波朱理が東京オリンピックに出てない理由は?年齢制限ってホント?
- 藤波朱理の父や家族構成について知りたい!
藤波朱理はパリオリンピックで金メダル!137連勝中に!
引用:オリンピック公式(パリ五輪での金メダル)
2024年8月に行われたパリオリンピックでは、連勝記録を137まで伸ばし、見事金メダルを獲得しました。
決勝では世界ランキング1位のエクアドルのルシア ヤミレト・ジェペス グスマン選手と対戦し、10対0のテクニカルスペリオリティで勝ちました。
『テクニカルスペリオリティ』は野球でいうところの『コールド勝ち』です。要するに圧勝だったってことですね!
試合後のインタビューでは、コーチの父・藤波俊一さんへの感謝を述べていました。
試合後にセコンドについていた父の俊一さんと日の丸を掲げながらマットのまわりを1周して喜びをあらわしたことについて「4歳から父のもとでレスリングをやってきて、ぶつかり合うことやけんかすることも多かったが、父がいなければここにはいないので、一番感謝したい存在です」と笑顔で語りました。
引用:NHK
また、俊一さんも、「おかげさまで実現できた。コーチとして、親として、2倍うれしい」と喜びを記者団に語っていました。
本番直前の3月に肘の怪我の手術をし、出場も危ぶまれましたが、圧倒的な実力で金メダルを獲得しました。
今大会が初めてのオリンピックだった藤波選手の次の2028年ロサンゼルスオリンピックまでの活躍も期待ですね!
藤波朱理は父のコーチで連勝記録中!得意技は?
引用:Number
藤波朱理選手は4歳でレスリングを始め、それからずっと父・俊一さんの指導のもと歩んできました。
父・俊一さんも元レスリング選手で、元オリンピック代表候補の実力でした。
兄・勇飛さんもレスリングをしていたことから、幼少期からレスリングは身近な存在だったそうです。
まずは、藤波朱理選手と父・俊一さんとのレスリングの歩みを調査していきたいと思います。
藤波朱理がレスリングを始めたきっかけは兄の影響?
引用:Instagram(幼少期の藤波朱理選手、左は兄の勇飛さん)
藤波朱理選手は兄の影響で4歳でレスリングを始めたそうですが、始めた頃の記憶はないそうです。
それでもマットサイドで寝ていた記憶はあるのだとか。
「始めた頃の記憶がない。笛の音、マットに靴がこすれる音……。その中でマットサイドで寝ていたのは覚えています」と屈託なく笑う。
引用:4years.
父・藤波俊一さんは、88年ソウル五輪代表候補でした。
国体では2連覇をするなど、国内でも屈指の選手だったそうです。
引退後は三重県立いなべ総合学園高等学校でレスリング部監督を務めていました。
その影響もあり、8歳年上の兄・藤波勇飛さんもレスリングを始めます。
そういった環境だったので、藤波朱理さんがレスリングを始めたのは、すごく自然な流れでした。
父のコーチとのレスリング競技の歩み
藤波朱理選手は、小学生になると、父が監督を務める高校の練習に参加するようになります。
父は三重県のいなべ総合学園高校で教員をしながら、レスリング部を教えていた。小学生だった藤波はここに通うようになった。中学生も参加していたので、初めはそれに交じって練習した。しかし、彼女自身が中学に上がるころになると、高校生とも対等にスパーリングができるようになっていく。
引用:Tarzan Web
藤波朱理選手は小学3年から全国少年少女選手権を4連覇するなど小学生の頃から活躍します。
藤波朱理選手は負けず嫌いだったそうで、年上の中学生相手に練習していたので、同世代には負けなかったようですね。
それでも中学にあがるとなかなか勝てなくなり、2歳年上の中学3年生相手にフィジカル負けするようになります。
ある日、試合で負けた藤波選手は涙を流しながら「もっと強くしてください」と頼み込んできた。その時「本人が強くなりたいと思ってくれないと強くできない。頼まれて強くしてやりたいと本気で思った」という。
引用:毎日新聞:父・俊一さんのコメント
年上に負けて泣きながら強くなりたいと思うのは、本当に負けず嫌いだったんですね。
練習熱心だった藤波朱理選手がさらに勝ちを求めて練習に取り組んだそうです。
「無理強いされたことがない。やらされていたら、ここまで続けていなかったと思う」
子どもの頃の藤波について、「柔軟性が高く、タックルに入るタイミングの取り方がうまかった」と評するのは父の俊一さんだ。のびのびとした環境のもとで才能を伸ばし、現在のもう一つの武器とも言える「防御力」をコツコツと磨いていった。
引用:4years.
父・俊一さんは練習を強要したことはなく、藤波朱理選手本人の意思で練習に取り組んだそうです。
公式戦負けなし連勝記録は?7年連続?得意技は?
引用:日刊スポーツ(18歳で100連勝を記録)
中学1年の時はフィジカル負けしていた藤波朱理選手ですが、中学2年になると負け知らずになります。
中学2年の2017年6月から公式戦での連勝は続き、現在は137連勝まで記録を伸ばしています。(2024年8月現在)
7年間公式戦で負けていないというすごい記録ですね!
レスリング界の連勝記録は、藤波選手が更新するまでは、吉田沙保里さんの119連勝でした。
藤波朱理選手は、吉田沙保里さんの記録をすでに抜いています。
中学2年時の全日本女子オープン選手権(中学の部)で優勝以降、出場した全ての大会で優勝しているのです。
手足の長さと高い運動能力から繰り出される得意の片足タックルと、今年に入ってから磨き続けたという組手やグラウンド技、そしてディフェンスの強さも連勝の秘訣。
圧倒的な強さを誇っている藤波朱理選手ですが、驕りはないようです。
パリ五輪の金メダル大本命ともいわれていますが、連勝記録について聞かれると、都度“意識していない”といった旨の回答をしています。
引用:TBS
コーチの父・俊一さんも「一番練習してると思う。だから日本一、世界一が獲れる」と話しています。
熊のパンツでゲン担ぎ?
藤波朱理さんは、中学2年から無敗で現在公式戦133連勝中ですが、なんと「熊が描かれたパンツ」でゲン担ぎしていることを告白しています。
「クマ」といってもかわいらしい熊ではないらしく、最強女子らしく、リアルな熊の写真がプリントされたボクサータイプのもので、先輩と一緒に買って、試合に履いて調子がよかったのだそう。
かなりヨレヨレになってきてるんですけど…大事に大事に使って、試合の日は必ず履くようにしてます」と4年間、愛用し続けていることを明かした。
引用:スポニチ 2024/6/22
藤波朱理が東京オリンピックに出てない理由は?年齢制限!
藤波朱理選手は2017年6月から負け知らずなのに、なぜか東京オリンピックには出場していません。
その理由は、実力不足だったわけではなく、ナント年齢制限による出場資格がなかった事によります。
東京オリンピックの代表選考当時は、まだ17歳だったため、代表選考選に出場する資格がありませんでした。
東京オリンピックの代表選考の仕組みについても調査してみたいと思います。
引用:毎日新聞
代表選考の年齢制限
東京オリンピックの出場資格を得るためには、2019年の全日本選手権で優勝する必要がありましたが、藤波朱理選手はこの全日本への出場資格を持っていませんでした。
参加資格は、男女とも令和2年(2020年)に「18歳以上」であり、規定の資格(成績)を得ている選手。
藤波朱理選手は、2003年生まれのため、2020年は17歳でした。
年齢制限のため、東京オリンピックの出場は、挑戦権すらありませんでした。
東京オリンピックの女子レスリング53kg級の代表には、向田真優選手(現姓:志土地)が選ばれました。
向田選手は、世界選手権で2位になり、東京オリンピックの出場権を得ました。
オリンピックでは、金メダルを獲得しています。
藤波朱理と向田真優はどっちが強かった?
引用:スポーツナビ(東京五輪で金メダルをとった向田真優選手)
もし藤波朱理選手が東京オリンピックに出場していたら、金メダルが獲得できたか気になりますよね。
藤波朱理選手と同じ53kg級で出場した向田真優選手は金メダルを獲得しています。
藤波選手と向田選手、どちらが強かったのか気になるところです。
しかし、東京オリンピック前に、このふたりの対戦はありませんでした。
東京オリンピックが開催された2021年前後での対戦がなかったため、ふたりの実力差を測ることはできません。
パリオリンピックの代表選考となる2022年の全日本でも直接対決はありませんでした。
初対戦となったのは、2023年の明治杯全日本選抜選手権。
6月の全日本選抜選手権。初めての顔合わせで有言実行した。準々決勝で当たると、グラウンドの攻防を制し、フォール勝ち。圧倒的な強さを見せつけ、あとは優勝まで駆け上がった。
引用:4years.
藤波朱理選手が向田選手との初対戦を迎える頃には、国内だけでなく、世界大会でも藤波選手は負け知らずでした。
同時代の同階級にも関わらず、これほど対戦がないのも珍しいですね。
藤波朱理の父や家族構成について知りたい!
レスリング一家で育った藤波朱理選手の家族構成を調査していきたいと思います。
父・俊一さんは、元レスリングの日本代表選手で、兄・勇飛さんもレスリング世界大会のメダリストです。
お母さんは、俊一さんの務める高校で寮母さんをしていました。
藤波朱理選手は「五輪で自分が戦っている時にセコンドが父、観客には母がいるのが理想」とおっしゃっていますが、どのような家族なのでしょうか?
父・俊一は、ソウル・オリンピック代表候補の豪傑
引用:THE ANSWER(左、父・俊一さん)
藤波朱理選手の父・俊一さんもレスリングの選手です。
1988年ソウルオリンピックでは、代表候補にも選ばれていましたが、残念ながらオリンピックの出場は叶いませんでした。
藤波俊一さんは、52kg級の選手でしたが、当時の日本代表の52kg級は毎年代表選手が入れ替わるくらい競争が激しかったようです。
83年宮原厚次、84年佐藤満、85年大川秀和、86年藤波俊一、87年中森昭平
ソウルオリンピック代表には佐藤満さん(元日本レスリング協会男子強化委員長)が選ばれており、金メダルを獲得しています。
藤波俊一さんも86年に日本代表としてワールドカップに出場していますので、ソウル五輪での金メダルのチャンスもあったのではないかと思います。
それだけに娘の藤波朱理選手の金メダルは悲願なのではないでしょうか。
母親はどんな人?
藤波朱理選手の母・千夏さんは、俊一さんが務めるいなべ総合学園高校の寮母さんをしていました。
藤波家一家は、父・俊一さんが日体大のコーチ就任が決まり上京しました。
翌年、朱理選手が日体大に進学しました。
最初は父と娘の二人暮らしでしたが、千夏さんも寮母を辞め、上京し一緒に暮らしています。
引用:Instagram
この春から東京で一緒に暮らし始めた母の千夏さんがいてくれたから。
「母は本当にポジティブなので、本当に助けられました。何でも話せてメンタル的にも今はいい感じです」(藤波選手)
引用:名古屋テレビ【メ~テレ】
「毎日頑張っていることは話をしていて分かるので、五輪では努力が報われたらいいなと思います」(母・千夏さん)
ポジティブな性格が藤波朱理選手の手助けになっているそうです。
また、寮母さんをしていたことからもわかるように、面倒見がよく、料理も得意のようです。
母とは、何でも話します。父も東京で2人暮らしの間は頑張って料理を作ってくれていましたが、やっぱり母の料理は最高です。母がおかずを実家から送ってくれるのが楽しみで。ダシの利いた薄味でおいしいんですよ。
引用:婦人公論.jp
兄弟については?何してる
藤波朱理選手の兄・藤波勇飛(ゆうひ)さんも元レスリングの選手で、引退後はは総合格闘技に転身しました。
引用:左・兄の藤波勇飛さん。右は高橋侑希選手
藤波勇飛さんは、2017年の世界選手権で銅メダルを獲得しています。
1996年5月27日生まれで現在28歳です。
藤波朱理選手は「使うタオルは兄からもらった赤いものを中学時代からずっと使っています。」とインタビューでおっしゃってます。
仲の良い兄妹なのがわかりますね。
藤波朱理は父のコーチで連勝記録中!東京オリンピックに出てない理由【まとめ】
今回は、パリオリンピック・女子レスリング53kg級代表で金メダルを獲得した藤波朱理選手について調査してきました。
最後にまとめです。
- 藤波朱理選手の父・俊一さんはコーチで元オリンピック候補
- 東京オリンピックに出てない理由は「年齢制限」
- 藤波朱理選手の連勝記録は吉田沙保里さん超え
- 藤波朱理選手の兄も元レスリング選手
最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
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