岡澤セオンは父親ガーナのハーフでアマだけどプロ?家族構成と生い立ちは?

岡澤セオンは父親ガーナのハーフでアマだけどプロ?家族構成と生い立ちは?

パリオリンピックでのリベンジに燃えるボクシングの岡澤セオン選手。

東京オリンピックでは金メダル候補だったにも関わらずまさかの2回戦負けで残念でしたよね。

TVでお見かけしましたが、バラエティー向きは間違いないので長く愛され続けそうな気がする選手です!

そんな岡澤セオン選手はガーナ人の父親と日本人の母親とのハーフですが、生い立ちも気になりますね。

また、アマチュアボクシングの選手として活動している岡澤セオン選手は、スポンサー収入を得るプロ活動を積極的に行い業界から注目を集めています。

ボクシングでは「アマ」と「プロ」のルールが全く違いますし、どんな会社がスポンサー担っているのでしょうか?

お母様も山形の著名なグループ企業からの出身でしたので家族構成についても見ていきましょう。。

  • 父親はガーナ人で母が日本人のハーフ!生い立ちは?
  • 岡澤セオンの家族構成をご紹介!
  • 岡澤セオンはアマだけどプロとしてスポンサー収入
目次

岡澤セオンの叱られたら勝てるの法則とは?

岡澤セオン選手はパリオリンピックで金メダルに一番近い選手の一人と言われています。

前回、東京オリンピックでは、金メダル候補と言われていましたが、2回戦で、金メダルを獲得したロニエル・イグレシアス(キューバ)選手に敗れました。

実力的にも、金メダルを狙える位置にいる岡澤選手ですが、実は岡沢セオン選手には、”叱られると勝てる”ジンクスがあるのです!

これでパリオリンピックは金メダル間違いなし!?

岡澤セオン
引用:THE ANSWER(2023年10月のアジア大会で金メダル)

ジャンクスポーツで女子アナに叱られると勝てる?

岡澤選手は、清楚な女性に叱られるのが好きだそうです。。

2021年の世界選手権前に出演したフジテレビのジャンクスポーツでの出来事です。

永島優美アナに、「叱ってほしい」とお願いをし、出演者一同をドン引きさせました。

引用:X(旧ツイッター)動画はこちら

この1ヶ月後に行われた世界選手権(セルビア・ベオグラード)でウェルター級で、日本人初の金メダルを獲得します!

ジャンクスポーツで女子アナウンサーに叱ってもらう事で勝利を掴めた岡澤選手は、2024年6月に出演したジャンクスポーツでも叱ってもらうようにお願いしました。

ジャンクスポーツより
引用:TVer

この日出演していたのは、フジテレビアナウンサーの佐久間みなみさん。

番組エンディングで、あんた、もし負けたら、ボッコボコにするわよ」と言ってもらえました。

岡澤選手はニッコニコでしたね。

これでパリオリンピックの金メダルの期待もグッと上がりましたね!

岡澤セオンの父親はガーナで母が日本のハーフ!生い立ちは?

岡澤セオン選手はガーナ人の父と日本人の母のハーフで、生まれも育ちも日本です。

お母さんの実家が山形で、岡澤選手も山形生まれなので、おふたりが山形で出会った可能性が高いそうですね。

お父さんはお仕事で山形に訪れていたのでしょうか。

それでは、岡澤セオン選手の生い立ちを見ていきましょう。

岡澤セオン
引用:中央大学

岡澤セオンの生い立ちは?

岡澤セオン選手は、山形県山形市で生まれました。

セオンという名前の名付け親はお父さんで、「セオン」はエジプト神話の神セトに由来するそうです。

セトとは「偉大なる強さ」を持つと伝えられています!

本名は、岡澤セオンレッツクインシーメンサです。

ボクシングで大会に出場する際に、名前が長すぎるという理由で、『岡澤セオン』で登録したそうです。

小学生の頃は意外にもボクシングではなくレスリングをしていたそうです。

少年時代に親しんだスポーツはレスリングだ。小学1年生のころに地元の教室、山形クラブで始めると、結果がすぐについてきた。2003年10月に行われた宮城ジュニアレスリングフェスティバルに出場し、小学1・2年生の26キロ級で優勝を果たす。順風満帆のスタートをきったこともあったのだろう、レスリングにのめり込み、山形大学附属中学校を卒業するまでの9年間、マットの上で戦った。

引用:オリンピック公式

小学生の頃は、レスリング以外にも、サッカーをしていて、山形FCジュニアユースに所属していたそうです。

また中学では、山形市の駅伝大会にも出場したそうです。

現在、脚力を活かしたボクシングスタイルですが、中学時代から脚力には自信があったようですね。

ボクシングとの出会い

岡澤セオンの高校時代
引用:めざましmedia

岡澤セオン選手のボクシングとの出会いは、高校の入学式の時だったそうです。

中学までレスリングをしていて、駅伝ランナーとしても活躍した岡澤選手は、高校では陸上部かラグビーへの入部を考えていたそうです。

しかし、高校の入学式の日に、不良っぽい見た目の上級生に声をかけられたのがターニングポイントになりました。

入学式当日、いかにも不良っぽい学生服と金の時計をまとった先輩に「ボクシング部に入れ」と迫られた。強制され見学に訪れると、ほぼ強制的に入部届けを書かされた。

引用:オリンピック公式

中学までレスリングをしていたとはいえ、高校入学直後にこういった経験は、かなり怖かったのではないでしょうか。

岡澤選手が入学したのは、日本大学山形高等学校です。

いろいろなスポーツで全国大会に出場している高校なので、目にしたことがある人は多いのではないでしょうか。

岡澤選手は、第1志望の高校の受験に失敗し、日大山形に入学することになりました。

第1志望の高校はあきらかになっていませんが、常に成績上位だったことを考えると、山形県内トップの山形東高校を受験したのではないかと思います。

岡澤選手の弟・オサイリスさんは、山形東高を卒業してるよ

山形東高に進学していたら、ボクシングとは出会っていなかったと思います。

人生ってわからないものですね。

本人も高校受験失敗はマイナスには捉えてないようですよ!

「僕の名前は岡澤セオンです。東京オリンピックアマチュアボクシング競技の日本代表で、階級はウェルター級69キロの階級です。実は本当は、岡澤セオンという名前ではないんです。本当の名前は、岡澤セオンレッツクインシーメンサと言います。

〜中略〜

何でレッツクインシーメンサが入っていないかと言うと、高校でボクシング始めた時に、ボクシング連盟から『名前が長すぎて入らない』と言われたのがきっかけです。

高校受験に失敗しているんですけど、高校受験に失敗したのは“岡澤セオンレッツクインシーメンサ”という名前が長すぎて、それを書くのに時間を取られたせいだと思っています。

引用:FNNプライムオンライン

岡澤選手らしい、前向きなメンタリティですね!

失敗談を自分の名前の長さで笑いに持っていくユーモアさが岡澤選手の魅力のひとつでもあります。

【写真】岡澤セオンの家族構成をご紹介!

岡澤セオン選手はガーナ人の父、日本人の母を持ち6歳年下の弟もいます。

オリンピアンが育ったご家族はどんな感じだったのでしょうか?

【写真】父親はどんな人

岡澤セオン選手の父親はガーナ人です。

引用:めざましmedia

お父さんは一般の方なので、お名前や職業は公表されていませんが、金メダル取ったら明らかになりそうですよね。

セオンさんも弟のオサイリスさんも名前にメンサと入っているので、苗字はメンサさんだと思われます。

現在お父さんは日本には住んでいなくてガーナにいます。

お父さんは今、ガーナにいます。たまに連絡がきます。英語で連絡が来るんですけど、英語はあまり得意ではないのでたまに連絡を無視して怒られています。

引用:FNNプライムオンライン

英語で連絡を取り合うようなので、日本語はまったくしゃべれないか、あまりしゃべれないようですね。

お父さんは昔から留守がちだったようです。

岡澤選手は、父親が黒人ですが、それをネガティブに捉えたことはないそうです。

(苦労した話は)本当に何もないんですよ。身長みたいに、一つの僕の特徴として捉えています。両親が日本人でも、僕より肌が黒い人はいるじゃないですか。その人も黒いという特徴がある人。僕も黒いという特徴がある人。同じだと思っています。黒人というカテゴリーに分けるという言い方をされると嫌な人もいるのかなとは思いますけどね。

 そういう分け方がなくなって、黒いものは黒いって言えばいいと思うし、黒いのが嫌いな人は黒いのが嫌いで別にいいし。肌が黒い人に対して、『俺、黒いのが嫌なんだよね』『一緒にいたらちょっと圧を感じて嫌だ』という人もいるかもしれない。それはそれで一つの意見だと思います。それでいいんですけど、『黒人』として括るより、『黒いという特徴』として捉えてもらった方が変なカテゴライズをして嫌な気持ちになることはなくなるんじゃないかなと思います。

引用:THE ANSWER

【写真】母親はどんな人

岡澤セオン選手のお母さんは、岡澤祐子さんといいます。

中央、母の祐子さん
引用:Facebook(中央が母・祐子さん。左隣は佐藤孝弘山形市長)

母の祐子さんは東京オリンピックの時にセオン選手の母親ということで県内メディアに登場していました。

祐子さんは岡澤セオン選手の勉強については厳しかったようです。

――ご両親からは、肌の色について何か言われたことはありますか。

何もないですね。でも、母親は黒人だと日本ではデメリットになることが多いから、勉強は人よりもできるようにさせられました。だから、母親はめちゃくちゃ厳しかったんです。『勉強だけはやれ』って。スポーツは才能が関わってくることだからやってもできないことがあるかもしれないけど、勉強はやればできることだから。

引用:THE ANSWER

そのおかげもあってか、岡澤選手の成績は常に学年3位をキープしていたそうです。

母親の実家はおかざわグループ

味の店スズラン
引用:日刊ヤマガタウェイ

岡澤セオン選手のお母さんの実家は、おかざわグループだそうです。

おかざわグループは、「ビジネスホテルおかざわ」と「味の店スズラン」を経営している山形の企業です。

岡澤選手の実家が飲食店をしていることは、報道されています。

東京オリンピック前の合宿は、同じ県内の蔵王で行われたものの、コロナの自粛期間中で、来店はできなかったそうです。

「味の店スズラン」は創業50年以上の老舗だそうです。

ビジネスホテルもスズランもチェーン展開をしているわけではないので、大企業ではありませんが、外出自粛などもあったコロナ禍も乗り切る体力を持った会社ですね。

弟はサッカー選手【写真】

岡澤セオン選手には弟がいて、岡澤オサイリス・クワベナ・メンサさんといいます。

生年月日は2001年6月26日で、現在23歳になります。

セオン選手とは6歳離れています。

岡澤オサイリス・クワベナ・メンサ
引用:東京ユナイテッドFC(筑波大学時代の写真)

オサイリスさんも、セオンさんと同じく小学校時代はレスリングをしていて、全国大会にも出場しています。

筑波大学サッカー部に所属していて、卒業後は東京ユナイテッドFC(関東社会人リーグ1部)への入団が発表されました。

ただ、今シーズンのメンバー一覧には掲載されておらず、オサイリスさんのX(旧ツイッター)にも何も書かれていないので、もしかしたら入団はしなかったのかもしれませんね。(退団の記事はありませんでした)

サッカーは小学校からやっていて山形FCジュニアユースに所属していました。

岡澤セオンはアマだけどプロとしてスポンサー収入あり!

岡澤セオン選手は、アマチュアボクシングのプロ選手です。

ええと、、、いったい何を言っているのでしょうか?

ここからは、ボクシング界のアマチュアとプロについてを調査していきたいと思います。

岡澤セオン
引用:スポーツビズ

ボクシングのアマとプロは全く違う

同じボクシングでも「アマ」と「プロ」とでは、競技ルールが明確にまるで違うのです!!

メジャーなスポーツでは珍しいことではないでしょうか?

相手を倒すことを目的としているのが、プロボクシングです。

一方アマチュアボクシングは、スポーツ性が高くて、どれだけ多くパンチを相手に当てたかを重視します。

また、競技時間も全然違い、アマチュアボクシングの方が、よりスピーディーな試合展開です。

プロはダメージ、アマはパンチの的確性を重視し、試合時間もプロは最長3分12ラウンド、アマは3分3ラウンドだ。

アマチュアボクサーとして活躍する岡沢はその魅力について「3分3ラウンドのハイテンポで高い技術力が必要とされる、何よりスピード感が魅力」と話している。

私自身、プロとアマどちらも経験しているが、戦術面や練習方法、調整なども含めて別の競技と言っても過言ではないほど違う。

短いラウンドでの勝負であればプロの日本王者でも、アマの大学生には敵わないと言われるほどだ。

引用:Yahoo!ニュース

ボクサーの中には、プロに転向する人も多くいますが、岡澤選手は一生アマチュアボクシング選手であることを宣言しています。

「一生アマボク」を宣言し、「プロのアマチュアボクサー」としてスポンサー提携やイベント登壇など、アマチュアボクシング界を盛り上げる新しいロールモデルとなっている。

引用:note(中央大学ボクシング部広報担当)

岡澤セオンのスポンサーはどこ?

岡澤セオン選手はボクシングでスポンサーを集め、それで収入を得ているプロ選手になります。

岡澤選手には拠点としている鹿児島の地元企業を中心に約20社のスポンサーがついています。

岡澤セオンのスポンサー
引用:X(旧ツイッター)

2021年4月からスポンサーからの収入だけで活動していますが、これは、プロとアマチュアで競技ルールが違うボクシングというスポーツだからこそなのかもしれませんね。

ボクシング界ではこれまで、ボクシングで収入を得るためにはプロボクサーに転身するしかありませんでしたが、岡澤選手はアマチュアボクシングを続けながらプロ化する道を作りました。

そして自分の為だけではなく、このスポーツを後輩たちに引き継いでもらう為の道だとも言っています!

現在のスポンサーは約20社で、岡澤選手がメディアに露出する際は、スポンサーの入ったTシャツを着用しています。

ジャンクスポーツに出演する岡澤セオン
引用:TVer

スポーツクラブやリラクゼーション施設の運営などを手がける「INSPA」の所属選手となって以降は、日本代表ジャージーを着て、約30社を回って支援を相談。活動拠点の鹿児島・鹿屋市などで合わせて約20社の企業からのスポンサードを受けるようになった。焼き肉店も経営する畜産農家や、建設会社、電気設備会社、ガソリンスタンド、自動車の整備、酒造メーカー…と、多岐の業種にわたり温かい応援を得た。

引用:スポーツ報知

地元企業が中心なので、Jリーガーやプロ野球選手に比べると金額は小さいかもしれません。

それでもプロ選手である以上、活動には多額の費用がかかります。

岡澤選手は特に海外合宿なども多く行っていますので、そういった資金も全てスポンサーからの収入で賄っています。

日本ボクシング連盟は岡澤に充てるはずだった費用をジュニア育成や競技普及など、新たな活動に工面できるようになった。連盟内でも“セオンスタイル”の確立が願われている。

引用:THE ANSWER

日本ボクシング連盟がジュニア育成や競技普及に資金を回せるほど、岡澤選手のプロ活動が貢献しているんだそうです!

こういった活動がボクシングだけではなく、いろいろなアマチュアスポーツに広がっていくといいですね!

岡澤セオンは父親ガーナのハーフでアマだけどプロ?【まとめ】

今回は、岡澤セオン選手の生い立ちや家族構成、プロ活動についてまとめてきました。

最後に今回の記事のまとめです。

  • 岡澤セオン選手の父親はガーナ人で、母親が日本人のハーフ。
  • 岡澤セオン選手の母・祐子さんの実家は、おかざわグループで飲食店などを経営。
  • 岡澤セオン選手は、地元企業を中心に約20社のスポンサーと契約している

黒人とのハーフをネガティブ要素にしない姿勢だったり、アマチュアボクシングへのプロ活動の浸透など多方面での活躍をしている岡澤セオン選手。

パリオリンピックでの活躍、メダル獲得を応援したいですし、今後も活動も期待したいですね!

今回も最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。

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