ドラマに出る度に役柄が変わり、次世代のカメレオン俳優として話題の西垣匠(にしがきしょう)さん。
西垣匠さんは、最近、テレビや映画などでよく見かけるようになった2024年大注目の人気若手俳優です。
そんな西垣匠さんですが、父親が実はものスゴイ方だったのは知っていますか?
西垣匠さんの父はなんとフェンシングの元日本代表でオリンピックにも選出された経歴を持つスゴイ方だったのです!
その父親の影響で西垣匠さん自身もフェンシングで華々しい成績を収めています。
その後の、西垣匠さんの大学時代にミスター慶應となりそして、俳優デビューするまでの生い立ちを幼少期の写真とともに紹介します!
西垣匠の父はフェンシング元日本代表!父から影響は?
西垣匠さんの父の西垣仁志(にしがきひとし)さんはフェンシングの元日本代表です。
そんな父親から受けた影響は大きく、西垣匠さん自身も小学生の頃から大学まで熱心にフェンシングに打ち込んでいました。
引用:Facebook(父・西垣仁志さん)
父の仁志さんは、1997年から日本オリンピック委員会強化スタッフを、また、東京オリンピックやパリオリンピックでは、日本代表の女子エペのコーチも務めています。
西垣仁志さんは、インタビューで自身の性格は、自分の考えを大事にすると答えています。
「後悔のないようにしたい」みたいなお話をしたと思うんですけど、僕は人からの話をなかなか聞かないんですよ(笑)。まず自分で挑戦して経験してみて、そして失敗してみないとわからないというか。他の人が何を言おうが自分がそう思わなかったらそう思えない性格ですね。
引用 : Fast
西垣匠さんの目標に向かってまっすぐ努力し挑戦し続けようという性格は、父の教えからの影響が大きいのかもしれませんね。
西垣匠の父の経歴と実績
西垣匠さんの父親の西垣仁志さんはどのような経歴と実績をお持ちなのかご紹介します。
仁志さんは、学生時代から活躍しており全国高校総体では優勝を果たしています。
全日本選手権では優勝を二度も経験しており、オリンピックでは惜しくも出場はできませんでしたが、素晴らしい実績をお持ちです。
プロフィール
お名前 | 西垣仁志 |
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生年月日 | 1967年11月13日 |
出身地 | 鳥取県 |
学歴 | 法政大学 |
選手時代の実績
1985年 | 全国高校総体優勝 |
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1991年 | 全日本選手権大会 優勝 |
1997年 | 全日本選手権大会 優勝 |
1990年〜1997年 | 世界選手権に多数出場 |
1998年 | ソウルオリンピック日本代表選手に選出 |
指導者としての経歴
引用:法政大学(パリオリンピックの報告会にて。後列一番左が仁志さん)
1995年 | 日本フェンシング協会のスタッフとして世界選手権に帯同 |
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2018年 | フェンシング女子エペ日本代表監督 |
2020年 | 東京オリンピック女子エペ競技のヘッドコーチ |
選手として引退してからも西垣仁志さんは指導者として尽力され、日本フェンシング界において、多大な貢献をされてきました。
そんな父の背中を見て育った西垣匠さんは自身もフェンシングにのめり込んでいきます!
西垣匠が幼少期にフェンシングを始めたきっかけ
引用 : instagram
西垣匠さんがフェンシングを始めたのは、小学3年生のときですので、父親の影響を受けて始めたのは間違いありません。
小学3年生から大学入学まで約10年間も続けており、フェンシングにおける熱心さには驚きです。
フェンシングはまだまだ日本ではメジャーな競技ではありませんし、習う場も無かったことから小学生の頃から親子マンツーマンで練習してきたのでしょう。
西垣匠さんは、フェンシングが演技にも活かされているとインタビューでも話しています。
西垣の“作品の世界に溶け込む演技”は、フェンシングの経験が生きている。フェンシングは、剣を持って向かい合う競技。「相手との間合いを見る競技なので、相手が何を考えているのか…ということを常に考えています。常に読み合い。距離感が一番大事で、自分が突ける間合いを探す競技」と明かし、「なので、相手との間合いを見る目だけは養われたかな」と柔らかな笑みを浮かべる。
引用:スポニチ
さらに西垣匠さんが通っていた学校にはフェンシング部がないため、中学生の頃から父がコーチを務める石川県立松任高等学校まで通って練習していました。
西垣匠のフェンシングでの戦績は?実力あったの
西垣匠さんのフェンシングでの戦績は、父とのマンツーマンの練習の甲斐あって優秀な戦績を収めています。
西垣匠さんは長年の努力の成果で高校1年生という若さでU-17ユースの日本代表に選ばれました。
高校時代 | U-17ユース日本代表に選ばれる |
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石川県高校総体個人エペで優勝 | |
北信越高校総体個人エペで優勝 | |
全国高校総体フェンシング競技大会個人エペで6位入賞 | |
大学時代 | フェンシング強化合宿に参加 |
各大会での優勝も経験しており、インターハイでは全国6位入賞という輝かしい成績です!
また大学時代にはフェンシング強化合宿にも参加。
合宿中には2024年パリオリンピックでフェンシング男子エペに出場した加納虹輝選手との試合も経験し、西垣匠さんから加納選手への金メダル獲得に対する祝福も話題となりました。
引用:PR TIMES(加納虹輝選手)
「山口県で行われた強化合宿に参加した際に、練習をさせていただきました。その頃からパワーとスピードが桁違いで、全く隙がありませんでした」と回想。「これから、各種目の団体戦が始まります。加納選手の勢いに続いて、もっともっと日本に感動と元気を届けていただきたいです。日本から全力で応援しています」とエールを送った。
引用:スポーツ報知
金メダリストの加納虹輝選手とは、U-17の合宿で一緒に練習した仲です。
パリ五輪の決勝戦は、日本の深夜に行われ西垣匠さんもテレビ観戦していましたが、優勝が決まった瞬間は、声をあげて大喜びでした!
西垣匠がフェンシングをやめた理由と慶應義塾大学への進学
引用:慶應塾生新聞
西垣匠さんがフェンシングをやめた理由は高校最後のインターハイだと語っています。
学生時代はフェンシング日本代表に選ばれるなど、キャリアも実力もあったが「高校生活最後のインターハイの結果は6位。その時に感じたのは『悔しい!』ではなく『これでいい』という満足でした。その瞬間にフェンシングは続けられないと思ったんです」と剣を置き、伏せていた夢である芸能の道を目指すことに決めた。
引用:ABEMA TIMES
10年近く続けてきた集大成がインターハイだったということですね。
その達成感から自分の別のステージを求めるようになったのかもしれませんね。
慶應義塾大学はフェンシングの強豪校であることと、西垣匠さんの学校での優秀な成績もあり、見事に指定推薦で合格したとのことです。
慶應義塾大学を目指すきっかけを話したインタビューがこちらです。
ずっとフェンシングをやっていて、高校では私立専願コースで勉強していたら、先生に「慶應を目指したら?」と言われたんです。慶應はフェンシングも強くて、成績的にも合格が狙えるということで目指して、結局、指定校推薦で入りました。
引用 : Yahoo!ニュース
運動神経だけでなく、頭も良くおまけにイケメン…。なんて羨ましい(笑)
フェンシングではなく演技の道を志すようになった理由
慶應義塾大学に入った当初、フェンシング部には入ったもののその熱が再び上がる事はありませんでした。
そんな中、演技の道を志すようになったきっかけがのちに紹介するミスター慶應2019グランプリの獲得です。
引用:X
ミスター慶應グランプリを獲得したことで芸能事務所から声をかけられて、研修生として1年半弱演技のレッスンを始めました。
残念ながらその事務所との直接の本採用とはならなかったものの、演技の道を目指すきっかけになったのは言うまでもありません。
慶應義塾大学入学での新しい挑戦と目標
西垣匠さんはずっと続けていたフェンシングをやめて「普通の大学生」として過ごしていましたが、何か新しいことに挑戦して思い出を残したいと考え周りからの後押しもあり慶應グランプリに出場しました。
本当にテレビや映画などに出演する側になるとは思ってもいなかったのですが、それこそ最初にスカウトしてくださった事務所で一度挑戦してみたんです。そしたらとても楽しいなと思って。当時は21歳くらいだったと思いますが、俳優の仕事は今から始めても遅いくらいだと思い、だったら後悔しない選択をしようと思ったのがきっかけですね。実際にお芝居をしてみて楽しかったですし、何事も一度チャレンジしてみるべきで、それで駄目だったら諦めようという気持ちで飛び込んでみた次第です。
引用 : Fast
フェンシングでも成し遂げられなかった“1位”という称号を「ミスター慶應」で実現し、俳優という新しい目標ができた西垣匠さん。
引用 : MTRL
また、フェンシングを辞めることにお父様から反対されていましたが、グランプリを獲得したことで「自分のやりたいことがあるならば、それを目指すのもいい。」とやっと理解を得られました。
グランプリを獲得したことで受けた演技の研修から「俳優」という新たな目標にむかって進み出したのです。
ミスター慶應を経て俳優としてのデビュー
就職活動で周りも忙しくなる頃、西垣匠さんに一つの転機が訪れました。
現在所属されている「東宝芸能」からスカウトの声がかかったのです。
グランプリ後スカウトされた事務所とは本契約にならず、俳優になることを諦めかけていた西垣匠さんにとって、またとないチャンスでした。
すぐに事務所に所属することとなり、ついに2021年2月ドラマ「夢中さ、君に。」で俳優デビューを飾りました。
それからは、次々とドラマ出演が決まり人気を博していきます。
- 夢中さ、きみに。最終話(2021年2月5日、MBS) – 妹尾正広 役
- 西荻窪 三ツ星洋酒堂(2021年2月12日 – 3月19日、MBS) – 雨宮涼一朗(高校時代) 役
- ドラゴン桜 第2シリーズ(2021年4月25日 – 6月27日、TBS) – 岩井由伸 役
- 消えた初恋(2021年10月9日 – 12月18日、テレビ朝日) – 仲林大翔 役
引用 : X
特に話題となったのが、「ドラゴン桜」のヤンキー役で西垣匠と西山潤さんが丸坊主にするシーンで、インパクトが大きく覚えている方も多いのではないでしょうか?
西垣匠にフェンシング経験が与えた影響は?
西垣匠さんにフェンシング経験が与えた影響は多大で、演技の基盤となっていると言っても過言ではありません。
「フェンシングってすごく相手との間合いをはかるスポーツなんですよね。」 「反射神経も大事なんですけどそれよりも読み合いだったりとか相手が得意とする間合いというものがあって、剣のリーチとか腕の長さとかもあって」 「そこを読み合いながら戦うんですけどその間合いの取り方っていうのはすごくお芝居の中でも生きてるな~と思いますね。」 「人と人が最初は初対面でそこから徐々に仲良くなっていくと徐々に間合いが近くなっていくんですけど、そこを間違えちゃうとちぐはぐになっちゃったりするので、お芝居が。だから相手との距離感みたいなものはすごく生きている気がします。」
引用 : テレビ金沢
フェンシングで培われた人との間合い、距離感がすごく生きているとの事ですが、演技に対する集中力や練習をし続けられる継続力も長年のフェンシング経験が与えた影響なのでしょう。
鍛えられた体幹と身体能力を舞台でも発揮!アクション俳優もできる!
アスリートとして身体を鍛えていた西垣匠さんはその体幹と身体能力を舞台でも発揮しています!
2022年9月には初舞台となる「薔薇とサムライ2 ー海賊女王の帰還ー」のベルナルド・アミスタ役で出演。
引用:劇団☆新感覚
劇中ではフェンシングで培ったスピード感ある殺陣(たて)や見得(みえ)を切ったり、歌やダンスにも挑戦していました。
さすがは元アスリート!
初舞台とは思えない切れのある殺陣に感心しました!
そのほかにも映画:「わたしの幸せな結婚」での剣術を得意としたアクションやドラマ「マルス-ゼロの革命-」での壮絶なバトルシーンでも話題です。
アクションめちゃくちゃ凄かったです西垣匠くん〜!!!
西垣匠の幼少期からの生い立ち!【写真】
最後に西垣匠さんの幼少期からの生い立ちを紹介していきます。
引用 : X 小学4年生の運動会
小学生3年生からフェンシングを始めた頃の西垣匠さん。
この頃は比較的活発な男の子だったらしく、3、4年生の頃には学級委員長を務めていました。
引用 : Ouchi-media. 中学時代の西垣匠さん
中学校時代の西垣匠さんはフェンシング部が無かったことから、科学部に入部。
休日はテレビゲームをして過ごすことが多かったらしく、インドア派な学生だったと語っています。
この頃のモットーは「目立たないこと」、今の印象とは随分違いますね。
引用 : Lilly Life Log 高校最後のインターハイ
西垣匠さんの通っていた高校は偏差値65の石川県屈指の難関校で、勉強とフェンシングに熱中した3年間でした。
高校1年生の頃にはフェンシングの実力も認められ、U-17日本代表にも選ばれる程になりました!
周囲から「高校時代はモテていた」と言われるそうですが、本人は全くの無自覚だったみたいですね(笑)
西垣匠の父はフェンシング元日本代表!ミスター慶應の俳優デビューへの生い立ち【まとめ】
今回は人気急上昇中の”ミスター慶應”西垣匠さんのデビューへの生い立ちとフェンシング元日本代表のお父様が与えた影響についてご紹介しました。
- 西垣匠はお父様の影響でフェンシングを始めてインターハイにも出場した
- 西垣匠はインターハイを自身のフェンシングにおける集大成として、剣を置き演技の道へと進んだ
- フェンシングの経験が西垣匠に与えた影響は演技の基本となる人との距離感
次世代のカメレオン俳優として大注目の西垣匠さん。これからの活躍も目が離せません!
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