男子柔道界・90kg級の階級で、パリオリンピック代表に内定し、出場が決定している村尾三四郎さん。
村尾三四郎さんのお母様はNYで女優をされていた程の美女ですから、三四郎さんもイケメンに違いありませんね。
お父様は純日本人、、ということで村尾三四郎選手はお顔立ちそのままの米国ハーフなのです。
また、同じ階級でライバルである東京五輪「金」のラシャ・ベカウリ選手とは同い年であることはご存じでしょうか?
そんな村尾三四郎さんの、生い立ちや家族構成が気になるのでご紹介しますね!
今回の記事では
- 村尾三四郎は米国ハーフです!
- 村尾三四郎はベカウリ選手と同級生?
- 村尾三四郎の家族構成はどうなってる?
- 母親の女優時代の写真!
- 村尾三四郎の生い立ちが気になる!
以上のことについて、重点的に紹介していきたいと思います!ぜひ最後までご覧ください!
村尾三四郎はアメリカNY生まれのハーフ!
引用:テレ東
さて、村尾三四郎さんの顔立ちを見て、「村尾選手はハーフに違いない!」と思う方も多いのではないでしょうか?
結論から言いますと、村尾三四郎さんは「日本人とアメリカ人のハーフ」であり、父親が日本人、母親がアメリカ人です。
村尾三四郎選手は、ニューヨークで産まれ、2歳の時に日本に引っ越し、神奈川県横浜で過ごすことになりました。
柔道を始めたのはお姉さんの影響で、5歳の時にお姉さんが柔道を始めるにあたり、体験で終わるつもりが一緒に始めることになったそうですよ。
幼少期のころから、オリンピックに出場することを目標に掲げ大変な努力を続けてきました。
残念ながら東京オリンピック出場は叶いませんでしたが、パリオリンピックに出場することが決定しています!
村尾三四郎は東京五輪「金」のラシャ・ベカウリ選手と同級生?
引用:eJudo
そんな村尾選手、東京オリンピックで金メダルを獲得した、ラシャ・ベカウリ選手と同級生なのです!
ラシャ・ベカウリ選手はジョージア出身で、階級も村尾三四郎選手と同じ90kg級です。
村尾選手は2020年2月の予選大会で3回戦負けをしたことで東京オリンピックに出場はなりませんでしたが、ベカウリ選手は東京オリンピックで見事金メダルを獲得しています!
2023年の世界選手権では、ベカウリ選手と村尾三四郎選手が準決勝で対戦し、ベカウリ選手が勝利しました。
準決勝で東京オリンピック(五輪)金メダルのラシャ・ベカウリ(22=ジョージア)に敗れた。
同い年で、今後この階級で世界の覇権を争っていくだろうライバルとの対決。
引用:日刊スポーツ
そんなベカウリ選手も、パリオリンピックのジョージア代表として出場することが決定しています。
村尾三四郎選手は様々なインタビューでも、ライバルとして同級生のベカウリ選手の名前を挙げていました!
パリオリンピックでは、雪辱を晴らすことができるのか、注目ですね!
村尾三四郎の家族構成は?
21歳になりました。沢山のメッセージありがとうございました。写真はたぶん3歳の誕生日。
引用:村尾三四郎 Instagram
ではここからは、村尾三四郎選手の家族構成などについて紹介していきたいと思います。
村尾選手は、父親が日本人、母親がアメリカ人のハーフで、他にお兄さんとお姉さんがいる5人家族のようです。
父親はどんな人?お仕事は?
まず最初に、お父さんについて調べてみました。
お父さんの名前は、村尾ヒデトシさんというらしいですが、情報を調べてみましたが、一般人のため出どころは不明でした。
また、出身は長崎県の出身だということもわかっているそうです。
さらに、お母さんがアメリカ人で、三四郎さんの生まれはニューヨークですので、英語が堪能で海外勤務のあるお仕事をされているのかもしれません。
家族写真がこちら↓で、後ろに写っているのがお父さんだと思われます。
引用:FNNニュース
そんなお父さんを持つ村尾三四郎さんですが、小学校のときには
他にも、父の勧めで相撲、合気道、ラグビー、水泳、器械体操など、色々なスポーツに取り組みました。
引用:柔道チャンネル
と、色んなスポーツに精を出していたことを語られています。
また、ウェイトトレーニングは小学生の時にはあまり勧めることがなかったのだそうです。
母親は女優です!【写真あり】
引用:デボラ・グロウの柔道ママブログ
次に、村尾三四郎さんのお母さんについて紹介していきます。
お母さんの名前は、「Deborah Grow(デボラ・グロウ)」だそうです。
引用:デボラ・グロウの柔道ママブログ
とてもお奇麗な方ですね!どうやら、若いころはニューヨークで俳優や歌手として活動していたそうですよ!
現在は、順天堂大学で英語の教師をされているそうです。
ヒデトシさんとはどのように出会ったのかは不明ですが、海外でお仕事をされていたときに出会った可能性がありますね。
兄弟は兄と姉の3兄弟!兄弟は何してる?
次に、兄弟について紹介していきます。
村尾三四郎さんには、長男と長女がいて、お兄さんは「村尾真秀」さん、お姉さんは「村尾真矢」さんです。
村尾真秀さんは、元ラグビー選手です!
引用:Dou
中学までは柔道を続けていて、高校からラグビーを始められたそうです。
高校1年の時から選抜メンバー入りするほどの実力があり、その後は社会人チーム「六甲ファイティングブル」「釜石シーウエイブス」でプレー。
そして、2022年まで「清水建設江東ブルーシャークス」で通訳を務め、現在は「株式会社MSM」を立ち上げ、スポーツ選手のマネジメントをされています。
また、弟の三四郎さんのために、柔道ブランド「Dou」を立ち上げ、サポートもされています。
お姉さんの村尾真矢さんは、三四郎さんが柔道を始めるきっかけとなった人物ですね!
引用:インスタグラム
真矢さんも高校の時まで柔道を続けられており、現在は社会人となっています。
お仕事については情報がないため、不明でした。
村尾三四郎の生い立ちは?
引用:スポニチ
では、ここからは村尾三四郎さんの生い立ちについて紹介していきたいと思います。
村尾三四郎さんは、アメリカのニューヨークで生まれ、2歳の時に神奈川県横浜へ家族で引っ越してきました。
5歳のときに茨城県に引っ越し、つくばユナイテッド柔道クラブで柔道を始め、幼稚園のときから「柔道選手になる」ことを夢見ていたそうです。
中学校は柔道の強豪である「灘中学校」へ進学し、3年生の時には81kg級をオール1本勝ちで優勝するほど実力をつけていきます。
高校も柔道の強豪である「桐蔭学園高校」へ進学し、1年生の時に出場した「全国高等学校柔道選手権大会」の決勝で3人抜きを達成!チームを優勝へ導きます。
その後も
2年生になると、金鷲旗高校柔道大会でチーム優勝、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会(以下、インターハイ)でもチーム優勝して、団体戦として高校3冠を制覇。
他にも、全日本カデ柔道体重別選手権大会でのオール一本勝ち、インターハイの個人戦で優勝。
3年生では講道館杯で勝つという目標があり、そのために、まずはインターハイでの優勝が必要でした。
インターハイで優勝して、講道館杯でなんとか3位に入賞できたのは、3年生で絶対勝つために照準を合わせて取り組んできた結果です。
そこから柔道グランドスラム大阪に出場して、次は、レベルの高い国際大会である柔道グランドスラム・デュッセルドルフにも出場。柔道グランドスラム大阪は、シニアの舞台でもあったので、3位でまだほっとしている自分がいましたが、柔道グランドスラム・デュッセルドルフが2位だったときは、勝ちきれなくてもったいないなという気持ちがありましたね。
引用:柔道チャンネル
と、高校生でありながら、素晴らしい成績を残し続けました。
大学は「東海大学」へ進学されました。
東海大学を選んだ理由は、強豪であることはもちろん、柔道で輝かしい成績を残した「井上康生」さんや、「上水研一郎」さんがいたからと語っています。
ただ、幼少期から東京オリンピックに出場する、という目標を掲げていた村尾さんですが、残念ながら出場することは叶いませんでした。
ですが、パリオリンピックに柔道90kg級で代表入りが見事決定!ここで東京オリンピックに出場できなかった思いをぶつけてほしいところですね!
名前の由来
さて、「三四郎」という名前の由来について紹介しましょう。
この三四郎という名前、「昭和の三四郎」と呼ばれた岡野功さん、「平成の三四郎」と呼ばれた古賀稔彦さんのような、柔道で輝かしい成績を残した人物にこのような名称がつけられていました。
また、「姿三四郎」という、柔道をモデルにした小説にも三四郎という名前がつけられています。
では、村尾三四郎さんも、柔道が強くなるようにつけられたのか、と思いきやそうではないそうです。
名づけ親はお父さんで、「生粋の日本人に育ってほしい」ことからつけられた名前だそうです。
まったく柔道とは関係ないことがわかっていますが、三四郎さんは「令和の三四郎」を襲名することを誓っています。
柔道との出会い
次に、村尾三四郎さんが柔道に出会ったのはいつだったのでしょうか?
村尾さんが柔道をやるきっかけは、「母親の仕事の関係で茨城県に引っ越した」と「姉の柔道についていった」からです。
引用:デボラ・グロウの柔道ママブログ
母親のデボラさんは、2005年につくば市のインターの幼稚園で働くことが決まり、家族で引っ越しをしました。
そして、ちょうど筑波大学で子供向けの柔道教室が開かれることになり、姉の真矢さんは柔道の体験レッスンへ行くことになり、村尾三四郎さんもその体験についていくことになりました。
最初は柔道をするつもりがなかった村尾三四郎さんですが
三四郎(5歳)とマシュ(11歳)は体験レッスンを見るために同行することにしました。彼らは数分間見てから、自分たちも参加したいと言いました。そして私たちの柔道生活が始まりました。
引用:デボラ・グロウの柔道ママブログ
と、ここで柔道と出会い、そこから柔道の世界へと入っていったのです。
もし、デボラさんの仕事がつくば市ではなかったら、また、姉の体験レッスンについていかなかったら、村尾三四郎さんが柔道に出会うことはなかったのかもしれません。
まさに、運命のいたずらで柔道に出会うことになったのかもしれませんね。
村尾三四郎は米国ハーフでベカウリと同級生?生い立ちと家族構成【まとめ】
ここまで、村尾三四郎さんの生い立ちや家族構成について紹介してきました。
今回の内容で
- 村尾三四郎は日本とアメリカのハーフである!
- 村尾三四郎の家族構成は父・母・長男・長女・三四郎の5人家族
- 村尾三四郎は5歳の時に柔道に出会い、そこから世界で成績を残すほどの柔道家となった!
上記の事について分かっていただけたのではないでしょうか?
幼少期からの夢であった東京オリンピックに出場することは叶わなかったものの、今回のパリオリンピックには、見事代表として出場することが決定した村尾三四郎さん。
ぜひ、東京オリンピックに出れなかった悔しさを、パリオリンピックで晴らしてほしいところです!
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