瀬尻稜の経歴や生い立ちがゴン攻めだった!倉田大誠アナとの名言解説が復活?

瀬尻稜の経歴や生い立ちがゴン攻めだった!倉田大誠アナとの名言解説が復活?

パリオリンピックのスケートボードの解説で「やばぁ」「地獄ヒート」がまたもや話題沸騰の瀬尻稜さん。

東京オリンピックでは「ゴン攻め」「鬼ヤバイ」など、愛のあるフランクな解説で大反響で、今回のパリオリンピックの解説でも注目を集めていました。

実は、スケボー界では世界大会で5回もの優勝経験がある実力者で、近年はペイントアートや映像作品も積極的に発表しています。

当ブログでは、瀬尻稜さんと倉田大誠アナの名コンビ解説が、パリオリンピックで復活するという情報を掴みましたので、その根拠を説明します!

また、スケートボード以外でも多方面で活躍されている瀬尻稜さんの経歴や生い立ちについてもご紹介します!

今回の記事では

今回の疑問
  • 瀬尻稜と倉田大誠アナとのコンビで名言解説が復活?
  • 瀬尻稜の経歴は?また生い立ちは?
  • 瀬尻稜のアート活動という広がった新たな活動の幅

このあたりに注目して、紹介していきたいと思います!ぜひ最後までご覧ください!

目次

瀬尻稜と倉田大誠アナとの東京オリンピックでの名言解説

瀬尻稜
引用:スポニチ 2024年5月22日

東京オリンピックのスケートボード種目で解説を務め、そのフランクな解説が話題となった瀬尻稜さん。

東京オリンピックでスケートボードは見事金メダルを2個獲得したわけですが、その解説を務めた場面で、瀬尻さんはたくさんの名言を生み出したことは記憶に新しいのではないでしょうか?

例えば

  • ゴン攻め
  • ビッタビタに決めてきた!
  • 鬼やばいっす

など、瀬尻さんらしい飾らない言葉で、ですがスケートボードの技を的確に解説するなど、テレビだけでなく、SNSでも話題となり、熱量がすごいことになったのを覚えている人も多いと思います!

この時、瀬尻さんは解説を初めて務めたそうですが、実はしゃべるのはあまり得意ではなかったそうです。

最初は『喋るの得意じゃないので、ないっす』と思っていた。けど、いろいろと話して、五輪は特別な舞台で、スケボーが競技として五輪に初めて登場して、しかも東京でやるってすごいんだなって。この舞台を特等席から見られるのはいいなと思い、解説をやってみようかなと思いました。

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また、あの解説がバズったことに関しては「特に何も思っていない」そうですよ。

さて、パリオリンピックでもスケートボード種目がありますが、東京オリンピックで実況を務めた倉田大誠アナウンサーとまたペアを組んでほしいと思う人もいるのではないでしょうか?

瀬尻稜と東京オリンピックで名コンビだったフジテレビの倉田大誠アナウンサー
フジテレビ

倉田アナウンサーと言えば、13歳で史上最年少の金メダルを獲得した西矢椛さんが、5回目の「トリック」を決めた瞬間

決まったーー!13歳、真夏の大冒険!!

と、解説を務めた瀬尻さんに負けないような名言を生み出したことで、さらに注目が集まりました!

実は「13歳、真夏の大冒険」は、後に2021年の流行語大賞にもノミネートされたんですよ。

倉田アナウンサーは、解説を務めていた瀬尻さんの「ゴン攻め」や「鬼ヤバイっす」に対して、冷静な実況でしっかりとフォローし、その掛け合いも心地よく聞こえ、この「瀬尻・倉田」コンビは人気者となりました。

瀬尻さんは、パリオリンピックでも解説を務めることが決定しており、東京オリンピック以来、実に3年ぶりの解説となるそうです!

また、倉田アナウンサーとのコンビを見ることはできるのでしょうか?楽しみですね!

瀬尻稜と倉田大誠アナの名コンビがパリ五輪で復活決定!?!

出典:スケートボード・フジテレビ公式X

2024年5月23日、スケートボード・フジテレビ公式Xで瀬尻稜さんが解説者となることが発表されました。

倉田大誠アナとの名コンビ復活は?という声が次第に大きくなっていましたが、2024年6月20日に遂に確定です!

パリ五輪の実況に日本から現地に派遣可能なアナウンサー枠はたったの24名。

NHKと民放・民放連から選定されますが、フジテレビの枠の一人に倉田大誠アナの名が!

引用:日刊スポーツ 2024/6/20 「パリ五輪実況のため派遣のアナウンサー24人判明」

フジテレビのスケートボード担当アナに倉田アナが就任(6月20日)!先に決定していた解説者に瀬尻稜さんが!!

これは、夢の名コンビ再現が決定したということではないでしょうか?中継が今から楽しみですね。

瀬尻稜の生い立ちが知りたいね!

瀬尻稜
引用:ムラサキスポーツ

ではここからは、瀬尻稜さんの生い立ちなどについて、紹介していきたいと思います!

スケートボードを始めたのはいつ?

瀬尻稜さんは、1996年12月11日生まれの東京都練馬区出身です。

瀬尻さんがスケートボードを始めたきっかけは、サーファーだった父が持っていたスケートボードがキッカケのようです。

5歳のときからスケートボードを始め、初めて大会に出場したのは2003年、小学1年生のころ。

当時はまだスケートボードがファミリースポーツになってない時代で、その時からお父さんの英才教育を受けて育ちます。

その後、AJSA(日本スケートボード協会)のアマチュア大会などで成績を残し、わずか11歳の時にはAJSAのプロクラスでグランドチャンピオンに輝くなど、まさにアスリートスケートボーダーの先駆者と言える存在となりました。

スケートボードの経歴は?

5歳からスケートボードを始め、11歳の時にはAJSAのプロクラスで最年少優勝を果たすなど、素晴らしい成績を残した瀬尻さん。

2010年小学生の時から、国内だけでなく世界大会にも挑戦し、輝かしい成績を残されています。

そんな瀬尻さんの経歴を見ていきたいと思います。

経歴

国内

  • 2006年 AJSAシリーズチャンピオン 史上最年少(11歳)
  • 2010年~2012年 AJSAシリーズ3連覇
  • 国内大会 3年間負けなし

世界大会

  • 2013年  International Skateboard Contest Far N’ High (フランス) 優勝
  • 2013年  World Cup Skateboarding 2013 Mystic Sk8 Cup (チェコ) 優勝
  • 2015年 スケートボード業界最大のコンテスト「STREET LEAGUE」にアジア人として初出場
  • 2017年 Jackalope Action Sports Festival (カナダ) 優勝 

世界大会では5回の優勝経験があるなど、数々の大会で結果を残してきた瀬尻さん

まだまだ、世界の舞台で活躍されていくことでしょう。

出身中学校や高校はどこ?

瀬尻稜さんの出身中学校や高校がどこか、気になる方もいらっしゃると思います。

出身中学校に関しては、確証はありませんが「東京都練馬区立関中学校」と言われています。

練馬区出身でもあるため、このあたりの学校に通われていたのではないかと言われています。

また、瀬尻さんは、中学校3年生の時に、すでに世界で活躍していたことを讃えられ、東京都教育委員会から表彰を受けていることがわかっています。

出身高校に関しては、情報が見つからないため、不明でした。

ただ、この年齢の時点ですでに世界で活躍をしていたため、通信制の高校かもしくは進学or就業していないのでは、と思われます。

所属先やスポンサーは?

瀬尻さんの所属先やスポンサーも気になるところだと思います。

現在の瀬尻さんの所属先は「ムラサキスポーツ」です。

また、そのほか14社の企業とスポンサー契約をされています。簡単に紹介します。

  • ムラサキスポーツ
  • ELEMENT
  • RVCA
  • OAKLEY
  • NINJA
  • DANIKE
  • autobahn wheel
  • Skullcandy
  • BRO STYLE
  • Skate Sauce WAX Co.
  • Red Bull         
  • XFLAG
  • Emerica など

プロアスリートとして、スポンサー契約というのはとても大事な収入となります。

瀬尻さんはトップボーダーとして活躍されているため、広告宣伝費などもトップクラスと言われています。

企業としても、貴重な人材とみていると思われますね。

どうしてオリンピックには出場しないのか?

さて、ここまで瀬尻さんの経歴などを見ていて、どうしてオリンピックには出場しないのか、疑問に思う方もいるのではないでしょうか?

スケートボードがオリンピック種目に正式採用されたのは、2016年のことで、瀬尻さんはまだ17、8歳のときでした。

バリバリ活躍していた瀬尻さんが、どうしてオリンピックを目指さなかったのか、紹介していきます。

①スケボーは楽しむもの

瀬尻稜
引用:elementjapan Instagram 2024/7/10

海外の大会に出るようになって、瀬尻さんが海外のボーダーに感じたことは、プレッシャーなく楽しんでいるということだったそうです。

瀬尻さんは、大会に出るのであれば、「勝ちたい!勝たなきゃ!」というプレッシャーを感じていたそうですが、海外のボーダーたちを見て、オリンピックが決まった後も

自分としてはそこを目指すよりも、『スケートボードの正義は楽しむことなんだ!』っていう思いの方が強くなりすぎちゃって、その時はどうしてもオリンピックを目指します!! という気持ちにはなれなかったんですよね。

Nunber Web

と、どうしても気持ちがオリンピックに向かなかったことを明かしています。

ただ、当時は中学生ということもあり、

それに、大会に勝つための練習をしていた中学生の自分もはっきり覚えていて、正直そこには辛かった思い出もいっぱいあったから、それを続けるのから逃げたかったっていう気持ちもあったかもしれません。だから、今はただより楽しく滑って、いい映像を残したいって気持ちだけが強くなっていた時期だったと思います。

でも今思うと、ちょうど高校生ってひねくれやすい年頃なので、そういうのもあったのかもしれませんね

Nunber Web

という、思春期ならではの気持ちだったとも感じていたみたいですね。

②2017年にオーガナイザーとなる

瀬尻稜
引用:Skateark

瀬尻さんは、2017年にBMXの第一人者である、内野洋平さんに誘われ、ストリートスポーツの祭典となっている「ARK LEAGUE」に新設されたスケートボード部門の「オーガナイザー」となりました。

また、記念すべき第一回目のスケートボード世界大会の【SKATE ARK】では、大会のオーガナイザーでありながら、選手としても出場して優勝しています。

オーガナイザーとは

イベントなどにおける「まとめ役」や「主催者」、組織における「設立者」や「組織者」を指す言葉、また政党や労働組合においては、組織拡充や運営を行う活動家を指す言葉。オルグとも略される

プレイヤー目線でしかスケートボードを見ていなかった瀬尻さんは、このオファーに当初は乗り気ではなかったそうです。

ですが、実際にオーガナイザーとして活動してみると、他のスケーターたちが楽しんでいるのを見て「やってよかったと感じたそうです。

そして、オリンピックに対する気持ちが少し変わり、「本気でオリンピックを目指してもよかったかな」と思うときもあったのだそうです。

今回のパリオリンピックでは、瀬尻さんは解説として出演することが決まっていますが、どうやらスケートボードの選手として出場することはなさそうです。

もうオリンピックに出場することはないのか、それとも、次があれば目指すのか、注目です。

瀬尻稜のアート活動

出典:柏BATSU

上記は、2022年12月2日〜5日にかけて柏のBATSUにて発表されたイラストの1つです。

会場ではサインのサービスや一緒に写真を取らせてくれたりと、和気あいあいの雰囲気でファン大満足の内容。

スケーター仲間を始め、東京五輪の解説者でファンになった人など多くの来店があったようです。

スケーターとしてはもちろん、ペインターとしての瀬尻稜さんの活動にも今後は注目です。

2024年7月12日~は渋谷にて「RYO SEJIRI ART EXHIBITION」も開催されます!

瀬尻稜の経歴や生い立ちゴン攻め!倉田大誠アナとの名言解説復活【まとめ】

今回は、瀬尻稜さんの生い立ちや経歴、また東京オリンピックでの倉田アナとのコンビが復活するのかどうかを紹介してきました。

今回の記事で主に紹介したのは

分かったこと
  • 瀬尻稜は5歳からスケートボードを始め、小学校の時にはすでにプロクラスを優勝していた
  • オリンピックに出場することは重要じゃなく、ただスケボーを「楽しむ」ことに重きを置いていた
  • パリオリンピックでの解説として出演が決定したため、また倉田アナとのコンビが見られるかもしれない

以上のことがわかっていただけたのではないでしょうか?

パリオリンピックに出場することはありませんが、解説として出演することが決定し、また倉田アナウンサーとのコンビが見られる可能性が高くなりましたね!

ぜひ、パリオリンピックでもスケートボードに注目してみてはいかがでしょうか!

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