尾崎野乃香は文田の父の指導でプレーオフ勝利! 慶應オリンピアンの生い立ち

尾崎野乃香は文田の父の指導でプレーオフ勝利! 慶應オリンピアンの生い立ち

女性部員たったひとりの慶應義塾大学レスリング部からパリオリンピック出場を決めた尾崎野乃香選手。

学業の成績も優秀で文武両道の尾崎選手ですが、高校から強豪校に進学しなかったこともあって、オリンピックまでの道のりは決して順調ではありませんでした。

パリオリンピック出場の崖っぷちで、文田健一郎選手の父・敏郎さんと出会い指導を受けたことで、プレーオフに勝利する事ができ、五輪への切符を掴み取りました。

今回は、尾崎野乃香選手がどのような道のりでパリオリンピックの出場を決めたのか調査していきたいと思います。

慶應義塾大学レスリング部としても初のメダルとなるかも知れません!

また、尾崎野乃香選手のお母さんが美人と評判ですので、尾崎選手の家族構成についてもご共有します。

  • 尾崎野乃香は慶應大レスリング部初のオリンピアン!
  • 尾崎野乃香の生い立ちと高校から 慶應大学を目指した理由
  • 尾崎野乃香は文田健一郎の父の指導のおかげでプレーオフ勝利できた!
  • 尾崎野乃香の家族構成は?母は美人すぎる【写真】
目次

尾崎野乃香はかわいい慶應大レスリング部初のオリンピアン!

尾崎野乃香
尾崎野乃香はかわいい慶応義塾の女子大生@日吉記念館
引用:サンスポ

尾崎野乃香選手は、レスリングの名門大学へスポーツ推薦で進学する道もあったにも関わらず、慶應義塾大学に進学しました。

慶應大レスリング部からは、半世紀以上オリンピック出場選手を輩出していなかったため、尾崎選手のパリオリンピック出場は、慶應大レスリング部にとっては快挙になりました。

女子としては、慶應大学レスリング部史上初のオリンピック出場だそうです。

2024年1月、尾﨑はパリ五輪出場を決めたが、慶應レスリング部所属レスラーのオリンピック出場は、1952年ヘルシンキ大会のフリースタイル52kg級で銀メダルを獲得した北野祐秀以来、72年ぶりのこと(慶應所属の意味では1956年メルボルン大会フリースタイル+87kg級に出場した相撲部の中尾三郎以来、68年ぶり)。もちろん女子としては史上初の快挙だった。

引用:スポルティーバ

慶應義塾大レスリング部の女子部員は、尾崎野乃香選手1人しか居ないそうです。

そのため練習は東洋大、神奈川大への出稽古中心だったとのことです。

尾崎野乃香の生い立ちと高校から慶應義塾大学を目指した理由

それでは、尾崎野乃香選手はどうしてレスリング強豪大学に進学しなかったのでしょうか。

尾崎野乃香選手は、もともと勉強熱心で成績もとても良かったそうです。

「レスリングだけの人生にはしたくない」という思いから、引退後のことも考えて慶應大への進学を決めました。

尾崎野乃香選手の生い立ちから慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス環境情報学部への入学までを調査してみたいと思います。

きっかけは浜口京子?

浜口京子
引用:時事通信

尾崎野乃香選手は小さい頃から身体を動かすことが大好きだったそうです。

そんな尾崎野乃香選手のレスリングを始めたきっかけは、浜口京子さんだったそうです!

7歳の時、テレビでレスリング選手の浜口京子さんの試合を見て、「この競技、私もやってみたい!」と思ったのがレスリングとの出合いです。レスリングに魅了された私は、近くの格闘技ジムで開かれていたキッズレスリング教室に通い始めました。

引用:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

尾崎野乃香選手が7歳の頃というと、浜口さんがアジア大会で銅メダルをとった頃や全日本で15度目の優勝をした頃ですね!

その後すぐに好成績を出し始めた尾崎野乃香選手は、JOCエリートアカデミーのスカウトを受けます。

高校時代はオール5!?

尾崎野乃香選手は、中学は成城学園中学校を卒業し、高校は、JOCエリートアカデミーに所属しながら、帝京高校に通いました。

尾崎野乃香選手は、もともと勉強好きで、高校の成績は、オール5だったそうです!

勉強好きなアスリートは他にも居ますが、オール5というのはかなり珍しいのではないでしょうか?

高校3年生のときは、初めて全日本選手権(62kg級)に出場して、初出場初優勝をしています。

文武両道という言葉がこれほど似合うアスリートは居ないのではないでしょうか。

尾崎野乃香
引用:スポニチ

尾崎野乃香は名門大学のスカウトを断った?

高校時代の尾崎野乃香選手は連戦連勝だったそうです。

そのため、ある強豪校のスカウトではこんな話があったそうです。

ある強豪校のスカウトから「何が何でも尾崎を獲れという指令が出ている。尾崎という選手はそんなにいい選手なのか」という問い合わせがあった。

引用:Number

レスリングの名門大学スカウトにも注目される成績を残しながら、尾崎野乃香選手はレスリング強豪校ではない慶應義塾大学を選びました。

その理由を尾崎野乃香選手はこう語っています。

「体育専門とかスポーツ専攻は自分には合わない気がしたんですよ。スポーツだけの人生になりたくなかった」

引用:スポルティーバ

 「慶應では、五輪には行けない」と周囲からもかなり反対されたそうです。

高校時代の尾崎野乃香選手のレスリングの実績を考えると、関係者はみなオリンピックの金メダル有力候補と考えていたのでしょう。

強豪校以外の進学を決めたことにより、金メダルを諦めた関係者も多くいたのではないでしょうか。

学業成績は優秀で、何より学びへの意欲が強い尾崎がアカデミー関係者に進路希望を伝えると、厳しい意見が耳に届いた。慶大は練習環境や指導体制が整った大学ではなく、部は存在するものの、半世紀以上も五輪選手を出していない。五輪選手養成機関といえるアカデミー関係者が苦々しく思うのは、致し方ないことかもしれない。それでも尾崎の信念は、決してぶれなかった。

引用:スポニチ

そんな関係者の予想を良い意味で裏切る形で、尾崎野乃香選手はパリオリンピックの出場権を獲得します。

しかしその道は簡単ではありませんでした。

女子62キロ級で優勝した元木咲良(右)と2位の尾崎野乃香
引用:サンスポ(全日本3連覇を逃した尾崎選手。右は優勝した元木咲良選手)

尾崎野乃香は文田健一郎の父の指導のおかげでプレーオフ勝利できた!

レスリング強豪校ではない大学に進学し、尾崎野乃香選手はどうやってオリンピック出場できるレベルまで練習をつめたのでしょうか?

尾崎野乃香選手の成長をカギを握っていたのは、東京五輪・男子グレコローマン60kg級銀メダリストの文田健一郎の父・文田敏郎監督の指導だそうです。

それでは、尾崎野乃香選手の恩師・文田敏郎さんについて調査していきたいと思います。

恩師・文田敏郎との出会い

文田敏郎監督
引用:スポーツナビ(文田敏郎監督)

尾崎野乃香選手は2022年の世界選手権で初優勝をはたします。

しかし、その年の12月の全日本選手権では決勝で敗れ、準優勝となってしまいます。

その後の全日本選抜でも3位とパリオリンピックを目指す上では、かなり厳しい状況になってしまいました。

五輪競技ではない階級の65キロ級で世界選手権出場を決めたあとに、知人を通じて山梨・韮崎工業高校の練習への参加を誘われたことが、文田敏郎さんとの出会いになります。

「野乃香さんは非常に攻撃力が高い。ただ、ディフェンスがぎこちなかった」。8月初旬の初練習、男子高校生とのスパーリングを見て、敏郎氏は弱点を見抜いた。同時に「すぐに来なくなるだろう」とも思ったが、その後も毎週土日、母子連れ立って練習に訪れた。「熱心に通って来るので、本気でやらないといけないなと。楽しみが増えた」。名伯楽の心にも火がついた。

引用:スポニチ

週末になると、尾崎野乃香さんはお母さんの運転で練習のために山梨まで通ったそうです。

練習は1日4時間、一つの技をじっくりと指導されたそうです。

この練習方法について尾崎野乃香選手は「そこまで突き詰めてくれる先生はいなかった。もっと教わりたいと思った」と話しています。

尾崎野乃香と文田敏郎コーチ
(左)文田敏郎コーチと(右)尾崎野乃香
引用:スポニチ

パリオリンピック出場のチャンス到来

一時は62kg級でのオリンピック出場が絶望的になった尾崎野乃香選手ですが、土壇場で68kg級での出場のチャンスが巡ってきました。

62kgから65kgへ。

さらに68kgへと階級を上げることは簡単ではないわけですが、尾崎野乃香選手はこのチャンスをものにしました。

文田敏郎監督と尾崎野乃香
引用:デイリースポーツ(右、文田敏郎監督)

準備期間はわずか2ヶ月だったそうですが、2024年1月に行われたプレーオフで、大逆転のパリオリンピック出場を掴み取りました。

文田敏郎はグレコローマンスタイルの元選手

文田監督はフリースタイルの監督をしていますが、もともとグレコローマン出身のレスリング選手でした。

男子のレスリングには上半身のみの攻防が許される「グレコローマンスタイル」と、全身で攻防できる「フリースタイル」の2種類があります。

グレコローマンスタイルは、男子のみの競技です。

男子でも中学生までは競技がなく、高校生以降のみです。

文田監督の息子・文田健一郎さんが小学生の頃、なかなか勝てなかったそうです。

そこで文田監督が、グレコローマンスタイルの技をアレンジしてフリースタイルに取り込んだそうです。

『ガブリ返し』といって、相手の頭に覆いかぶさり後方に投げる技を、フリースタイルにアレンジして生まれた技だそうです。

尾崎野乃香の家族構成!母が美人!

尾崎野乃香選手のパリオリンピック出場には、母・尾崎利佳さんの大きな支えがありました。

尾崎野乃香選手は毎週末、都内から文田監督のいる山梨まで母・利佳さんの運転する車で通いました。

また、尾崎野乃香さんの父親はお笑い芸人のクールポコさんとつながりがあるそうです。

尾崎野乃香選手の家族構成について調査していきたいと思います。

美人の母は元テレビ局スタッフ

引用:Instagram

尾崎野乃香選手の母・利佳さんが美人だとネットでも評判です。

その利佳さんは、もともとテレビ局で働いていたそうです。

元プロ野球選手でタレントの長嶋一茂さんが同じ現場になったことがあるとお話しされています。

冒頭のトークでパリ五輪開催年で話題に。すると一茂は、フジテレビの「プロ野球ニュース」に出演していた際、タイムキーパーとして働いていた女性スタッフの子供が尾崎野乃香だと明かし「びっくり」とコメント。「だって応援するよ。一緒に仕事していた女性の子供じゃん。すっげぇ注目するよね」と熱く語った。

引用:スポーツ報知

また、尾崎野乃香選手は、お母さんがいつも近くで見てくれていることが支えになっていると話しています。

★母に感謝「近くで見てくれている」

尾崎の母・利佳さんは、一人娘を全力で育ててきた。マイナスなことは言わず、光る部分を口に出して褒めることを子育てで意識してきたという。尾崎は母について「日々近くで見てくれる存在」と感謝する。「試合の時も一番信じてくれている感じがする。ママも見ているから大丈夫って思って試合に臨んでいる」と、背中を押されていることを明かした。

引用:サンスポ

週末は山梨まで送り迎えをし、試合の時も必ず応援に駆けつけているようですね。

お母さんが話しているとおり、尾崎野乃香選手に兄弟は居ないようです。

父はラグビー部OBでコーチ

尾崎野乃香選手の父は尾崎佳史さんです。

佳史さんは法政大学ラグビー部OBです。

また、以前は目黒学院高等学校のラグビー部の監督も務めていたようです。

教え子には、お笑い芸人のクールポコさんもいらっしゃるようで、2024年7月3日の走行会では、尾崎野乃香選手の激励に訪れていました。

引用:X(旧ツイッター)

尾崎野乃香は文田の父の指導でプレーオフ勝利!慶應オリンピアンの生い立ち【まとめ】

今回は、慶應義塾大学レスリング部女子初のオリンピック出場を決めた尾崎野乃香選手について調査してきました。

強豪校ではないレスリング部に所属しながらも、崖っぷちから大逆転で五輪出場を決めた尾崎選手。

パリの大舞台でも勝負強いレスリングで金メダルをとってほしいですね!

それでは今回のまとめです。

  • 尾崎野乃香は慶應大女子レスリング部初のオリンピアン
  • 尾崎野乃香のコーチは文田健一郎の父・敏郞さん
  • 尾崎野乃香は文武両道で高校の成績はオール5

最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。

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