職業「テレビタレント」として今でも現役で活躍中の「ヒデちゃん」の愛称でおなじみのレジェンドMC中山秀征(なかやまひでゆき)さん。
2024年、中山秀征さんは書籍『いばらない生き方―テレビタレントの仕事術―』の出版したり、特技の書道に関しては地元群馬で自身初の書道個展を開催したりとタレント業だけでなく多方面で活躍する年となりました。
そんな中山秀征さんですが、若い頃の姿が元Sexy Zoneの中島健人(なかじまけんと)さんに似ていると最近、SNSで話題になっています!
そこで、今回は「ヒデちゃん」の愛称でおなじみの中山秀征さんの若い頃が中島健人さんを写真で比較してどこ似ているのか検証したいと思います。
また、あまり知られていない中山秀征さんが”芸人”だったABブラザーズ時代や噂のラブホ激写報道について掘り下げていきます。
- 中山秀征の若い頃は中島健人に似てるね!どこが似てるか写真で比較
- 中山秀征は若い頃アイドルみたいに人気だった?
- 中山秀征の芸能界デビューのきっかけは?
- 中山秀征は書道いつから腕前は?書道の師範は美文字王子!
中山秀征の若い頃は中島健人に似てるね!どこが似てるか写真で比較
中山秀征さんはSNS上で中島健人さんと似ていると話題になっています。
いったいどこが似ているのか写真で比較しました。
引用:facebook
引用:PRINTEREST
見比べるとよく似ています!目元がキリッとしている所と鼻の筋が通っているところが特ににていますね!
SNS上の投稿でもよく似ていると話題になっています。
中山秀征と中島健人って めっちゃ似てるね
ああ 中島健人に対する既視感は若い頃の中山秀征だわ。
シューイチ見てたら若い頃の中山秀征が中島健人に少し似てて今週1驚いた
お母さんが中島健人みて、昔の中山秀征に似てるってうるさい笑笑
中山秀征は若い頃アイドルみたいに人気だった?
引用:有名人データベース
では、中山秀征さんの若い頃はどれくらい人気があったのでしょうか?
結論を先に言うと、中山秀征さんはアイドルみたいに大人気でした!
中山さんが人気が出たきっかけはABブラザーズとしてデビューした同年、アシスタントとしてレギュラー出演していた「ライオンのいただきます」です。
中島健人さんと似てアイドルのようなルックスをした若い頃の中山秀征さんは、特に女子中高生から人気が凄まじく、生放送後のアルタ前には出待ちの少女達が常にいたそうです。
引用:月刊youngヤング
また、中山秀征さんのルックスから単独でアイドル雑誌の表紙を飾ることもありました。
当時の人気をものがたるインタビューがあります。
テレビの影響力の凄まじさを、身にしみて知りました。国立市の寮からスタジオまで電車で通っていたんですが、テレビに出た日を境に、その車両は全部、僕らのファンの女の子っていう状況になったこともありました。そんな感じでデビューから3年ぐらいはワーっていったんですよ
引用:yahoo news
当時、高校生だった中山秀征さんからすると、電車の車両全部がファンの女の子ってどんな思いだったんでしょうね(笑)
中山秀征の若い頃の遊びっぷりについて
引用:えんためにゅーす
中山秀征さんは若い頃、夜な夜な六本木で飲み歩いていたそうで、「ヒデちゃん」のバブルリーっぽい派手なイメージはこの頃に出来上がったのでしょう。
僕の若手の頃といえば、時はバブル。よく六本木に行きました。当時の六本木はおしゃれで、おもしろくて、かっこいいやつが集まる街でした。それこそ、街を歩けば平野ノラだらけですよ(笑い)。
《中略》
当時は、ばか騒ぎして、好きなことやって、ぶち当たってはじけてっていうのが普通でしたね。失敗が怖くはなかったし、失敗するところから始めていましたね。
若手らしい勢いがある考え方ですね!
ただ、中山秀征さんは飲んでいただけでなく、人との繋がりの中で多くの事を学んだそうです。
良いことばかりではないけれども、そこで多くのことを学びましたし、育ててもらいました。仲間や先輩との付き合いでも学ぶことはあったし、クラブのお姉さんたちに大人の流儀や作法なんかを教えてもらいました。何てことない会話がトークの参考になったり、王様ゲームみたいな遊びがテレビの企画につながることもありました。
今思うと、ただ遊んでいたら何も得られなかったけど、人と遊んでいたことでいろんなことが残ったんだと思います。
中山秀征さんはただ遊ぶだけでなく、人との繋がりの中で常に学びと新たな発見を取り入れ成長したからこそ、今の愛されMC「ヒデちゃん」があるんですね!
中山秀征の若い頃のラブホ密会の報道は芸能界初?記者会見は笑えない
みなさんは、中山秀征さんが若い頃にラブホから出るところを報道されたのをご存知ですか?
実は、中山秀征さんのこの報道が芸能人初のラブホ激写だったのではと言われています。
この中山秀征さんのラブホ激写報道が再び世間を賑わしたのは、2024年11月4日放送、タレントの中居正広さん、東野幸治さん、ヒロミさんがMCを務めるTBS系バラエティー「THE MC3」でヒロミさんが暴露したのがきっかけです。
引用:Yahooニュース
ランキングテーマ「若い頃めっちゃ遊んでそう度」について「遊んでました。僕らは遊んでました」と言い切った中山の隣でヒロミは「だって、ラブホテルから出て来たところを撮られてるんだよ。目黒エンペラーから出て来たところを」と暴露。
この言葉に中山は「芸能界で初めてラブホから出て来たところを撮られた人だから」と開き直り発言。「なおかつ、俺はそれで記者会見やってるからね。」
報知新聞社 Yahooニュース
ヒロミさん、世間が忘れてた事をこの厳しい時代にあえて言わなくていいのに…(笑)
当時の詳細な経緯をいろいろな場所で回答しています。
当時25歳で独身だった中山秀征さん。
きっかけは、ライブ終わりの打ち上げでカラオケに行き、女性とラブホテルへ。
ライブが終わって、カラオケで打ち上げ。えらいご機嫌になって、みんなわいわいやって、なんでか知らないけどそんなことになる。ラブホテルに行ってしまうんです。
生まれて初めてラブホテルに行ったこのがこの日なんです。後にも先にもこの1回しか行ってない。若気の至りなんだけど。
テレビ朝日「証言者バラエティ アンタウォッチマン!」でのコメント
中山さんはこの時が産まれて初めてのラブホ体験で、後にも先にも1回きりだそうです。
その朝、中山さんのマネージャーが遅刻をして迎えに来たそうなのですが、その時の態度が悪く、独身なのに記者会見をするまで炎上してしまったようです。
マネジャーが迎えにきたんですけど、実はマネジャーが遅刻をして、いつもはやらないドアを開けたんです。冗談で“師匠!”とか言って開けて。“ふざけんなよ”とか言いながら乗ったのが、全部一連で撮られてるんですよ。
25歳の若造が、キャデラックで、マネジャーが目黒エンペラーに迎えに来てドアを開けて、一番うしろに乗っていくとは何事だと。絵面の評判めっちゃ悪いんですよ。
引用:関根勤さんのyoutubeチャンネル「関根勤チャンネル」
若気の至りもありつつ、運悪くいろんなことが重なってしまったスキャンダルだったんですね・・・。
引用:#アンタウォッチマン
中山秀征さんは記者会見前夜、やきもきした気持ちで過ごしていると、あの明石家さんまさんから自宅に電話がかかってきたそうです。
さんまさんから言われた「笑わしてや」の一言で、エンターテイナーである「タレント・中山秀征」として何をすべきかに気付かされたと感銘を受けたそうです。
さんまは開口一番「お前明日会見やろ、笑わしてや」と発言。中山は驚いたと言うが、さんまは「俺もな、離婚会見の時、でこに×書いて出てん。あんまうけへんかったけどな」と構わず続けたという。
この一言に、中山は「そうか、俺らはそこまでエンターテインメントなんだ」と感銘を受けた。「事実がどうであれ、そこで何を発言するかが、タレント・中山秀征なんだ」と気づかされたという。
引用:スポニチ
因みにこのさんまさんのでこに✕を書いて出た姿から、「バツイチ」という言葉が産まれたそうです(笑)
さんまさんの言葉をもらい、挑んだ中山秀征さんの記者会見は「ややウケ」だったそうです。
さんまの言葉を胸に記者会見に臨み、ラブホテルでは「カラオケを歌っていた」と釈明。記者からの「じゃあ、何を歌っていたんですか?」との質問に対し、「さぁ来た、と思って(ヒット曲)『よせばいいのに』って言ったんですよ……(ウケた?)まぁまぁでした。ややウケぐらい」と、自身の受け答えを振り返って笑ったが、それによって場は和やかなムードになったと回想。「これはさんまさんの言葉のおかげ。それで僕は救われた」と感謝した。
引用:日刊スポーツ
中山秀征の芸能界デビューのきっかけは?
中山秀征さんが芸能界に興味を持ったのは、5歳の頃でした。
家族で訪れた遊園地でのある出来事で『客席で熱狂するより、ステージに立ちたい』と思ったのがきっかけだったそうです。
ヒデさんは、デビューのきっかけやあまり知られていない厳しい下積み時代について、TBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」で語っています。
引用:パンサー向かいの#ふらっと 2024年5月22日放送より
芸能界への憧れを抱いたのは5歳の頃。両親に連れられ訪れた遊園地「カッパピア」で行われていたフィンガー5のイベントを観覧した際のこと。客席の子どもたち数名がステージにあがってメインボーカルの晃と一緒に歌えるコーナーが設けられ、中山も受付に向かったがちょうど自身の前で締め切られて悔しい思いをした。その時に「客席で熱狂するより、ステージに立ちたい」と自覚したという。
引用:wikipedia
時間が経ってもその憧れは消えず、中山秀征さんは動き出します。
中山秀征さんは中学生の時、芸能界に入るためにお友達の女の子からの勧めで児童劇団「エヌ・エー・シー」に入団された話をラジオでされています。
中山:(芸能界に)頑張れば入れるんじゃないか、っていう。そういう思いだったの。そんな子供が14歳で、とにかく何かをするには劇団に入らなければいけない、ってお友達の女の子が教えてくれて。当時「明星」とか「平凡」にそれこそ『金八先生』とか『仙八先生』とか見てて、三田さんが出てたわけですよ。そういうのに憧れて。でも劇団入らないと出れないみたいよ、って教えてくれて劇団に入るんです。
引用:TBSラジオ パンサー向井の#ふらっと
向井:それで最初『火曜サスペンス劇場』っていうドラマがすぐ決まって。当時原日出子さんが主演で、いわゆる校内暴力の話だったんですね。で、少年探偵みたいな役で、いい役でスタートする。いきなり殺されてはしまうんですけど。僕の遺影で「聖母たちのララバイ」ですから。
引用:X
そこから中山秀征さんはその後、15歳という若さで単身上京しました。
ただ、上手くはいかなかったようで厳しい生活を強いられることとなります。その生活は食べるものにも困る厳しさで、言葉どおり命がけの生活でした。
中山:この世界っていうのはプロダクションから呼ばれてくるんですよ。僕呼ばれないのに来てるんですよ。15歳で東京に上京して。最初は下宿転々とするんですけど、うまくいかないんです。いろんなエキストラとかやって。「なんで来ちゃったんだろう」って時があったんですよ。
引用:TBSラジオ パンサー向井の#ふらっと
ずっと芸能界の第一線で活躍してきたヒデさんのデビュー当時の苦労したエピソードに、三田さんも向井さんもビックリしていました。
デビュー当時のヒデさんは、お金がなくて栄養失調になってしまうほどだったそうです。
中山:そう。無理して来ちゃってるもんだから、親に迷惑かけられないと思って食べなきゃいいや、と思ったらやっぱ駄目だね。それでまずいっていうんで当時「デビュー」っていう雑誌があって。
三田:あったねえ!
中山:オーディション雑誌で、片っ端から大手プロダクションを受けて、そのうちの一つが当時の渡辺プロダクションで「第2の”吉川晃司”募集」だったんですよ。なんでも良かったんです。背に腹は変えられなくて。もうわからない、もう目も虚ろな中で、とにかく履歴書だけは毎日書いてて大手にバーっと出して帰ってきたのが渡辺プロで。その渡辺プロの歌のオーディションに行くわけですよ。
引用:TBSラジオ パンサー向井の#ふらっと
まさに「背水の陣」でデビューできる事務所を探していたんですね!
中山秀征さんはそのオーディションで「第2の”吉川晃司”募集」にもかかわらず、同じものはいらないという考えで全く関係ない歌を披露しました。
オーディションに参加する全員が緊張している中、中山秀征さんらしい面白いエピソードです(笑)
ヒデさんが歌ったのは、西城秀樹さんの「ギャランドゥ」、柏原芳恵さんの「春なのに」、梅沢富美男さんの「夢芝居」だったのです。
中山:そしたら「お前な、吉川晃司募集だって言ってるだろ」って。
引用:TBSラジオ パンサー向井の#ふらっと
一同:(笑)
中山:「俺は2人いらないと思うんですけど」「お前が言うな」と何度も言われて。
向井:でもそれで?
中山:受かるんですよ。
向井:受かるわけですよね!
三田:その魅力が。歌も上手だったんでしょうけど、その話術。心掴んじゃったんじゃない?
募集とかけ離れた歌を披露したのにもかかわらず、見事オーディションに受かりました。
審査員にはこのコントみたいなやり取りを気に入ってもらったんでしょうね(笑)
非常に“ヒデちゃんらしい”エピソードです!
このオーディションをきっかけに無事、芸能界入りして怒涛の活躍をしていきます!
経歴や芸歴を知りたい!
1984年、中山秀征さんは17歳で渡辺プロダクションに所属します。
中山さんは歌でオーディションに受かったものの肝心の歌もいまいち、芝居をしてもいまいちで事務所内でたらい回しにされていたそうです。
そんな中マネージャーからは「歌や芝居は、バラエティーで天下をとれたら全部やれる」と言われ、バラエティーチームに引き取られる形で若手お笑いタレントグループ「BIG THURTHDSY」の第一期生に参加しました。
因みに「BIG THURTHDSY」の中にはなんと、ホンジャマカ石塚英彦さんや三谷幸喜さんが在籍していたそうです!
引用:テレ朝POST
その翌年の1985年、渡辺プロダクションの松野大介とコンビ「ABブラザーズ」を結成。
ABブラザーズは同年すぐに小堺一機さんがMCを務める「ライオンのいただきます」のアシスタントとしてレギュラーを獲得しました。
その後、ABブラザーズはすぐにブレイクし同年、当時最年少でオールナイトニッポンのパーソナリティを務め、若い女性からの熱狂的な支持を集めたそうです。
中山さんはコンビだけでなく単独でもTVドラマや映画で主演を務め、アイドル雑誌の表紙も飾り、ついには1986年、念願だった歌手デビューも果たしています。
しかし、1989年「ライオンのいただきます」の降板を期にABブラザーズの人気は低迷してしまいます。
- 1985年
- 4月:バラエティ番組「ライオンのいただきます」でデビュー
- 10月:ラジオ「ABブラザーズのオールナイトニッポン」を最年少で担当
- 同年:テレビドラマ「大きなお世話だ」に出演
- 1986年
- 9月:「明日にONE WAY」でレコードデビュー
- 主な出演番組:「夕やけニャンニャン」「桃色学園都市宣言合羽坂学園」など
- 1989年
- 「ライオンのいただきます」降板により人気が低迷
引用:ホミニス
中山秀征さんはマネージャーや先輩芸人の勧めでピンでTVタレントの道を突き進むこととなります。
中山さんはテレビタレントとして板についてきて平成を彩る名MCとして活躍していきます。
TVやラジオだけでなくドラマへの出演も数を増えていき、何でもできる「マルチタレント」として才能を開花させてきました。
- クイズ!年の差なんて
- DAISUKI! – MC
- 世界まる見え!テレビ特捜部
- TVおじゃマンボウ – MC
- 殿様のフェロモン – MC
- THE夜もヒッパレ – MC
- ラジかる!! → ラジかるッ – 総合司会
- おもいッきりDON! → DON! – 総合司会
- ウチくる!? – MC
- 東京ラブストーリー
- 「静かなるドン」シリーズ
- 弟
- 上を向いて歩こう 坂本級物語
まさに本人の言う通り、肩書「TVタレント」というのにふさわしい活躍です!
中山秀征さんの現在のレギュラー番組は、2011年から総合司会を任されている日曜朝の情報番組「シューイチ」で、それ以外では、平日の番組を中心に様々な番組ゲスト出演されており、精力的に活動されています。
ABブラザーズの相方・松野大介への裏切り
引用:ミドルエッジ
ここからはABブラザーズの解散理由について解説します。
ABブラザーズの解散のきっかけは「ライオンのいただきます」の降板により一気に人気が低迷して、コンビとしての活動が激減したことです。
中山秀征さんと相方である松野大介さんの方向性の違いも大きかったと言われています。
中山さんはマルチタレントとしての才能を開花させる一方、松野大介さんは「芸人」として活動を続けたいと考えていました。
ただ、時代はお笑い第三世代ブーム。「ダウンタウン」「ウッチャンナンチャン」などの新しい風には実力差で太刀打ちできませんでした。
それでも再起を図るため「もう1回ネタを作ってコンビで戦おう」と立ち上がろうとした所、中山さんがマネージャーに言われたのが「負けを認めろ。」。
「コンビとしての負けを認めろ。その代わり、お前はこれから1人で戦っていけるから。芝居や音楽も含めて、バラエティとにかく頑張れ」
引用:ハッピーニュース
これが、中山さんの相方の松野大介さんを半ば裏切る形でピンでマルチタレントとして生き抜く決意をしたタイミングです。
それから程なくの1992年、ABブラザーズは自然消滅し事実上の解散となります。
それから中山秀征さんと松野大介さんは20年以上、顔を合わすこともありません。
松野大介さんはピンで活躍している中山秀征さんを見て裏切りに感じているのかもしれません。
それを読み取れる松野さんのインタビューがあります。
「もう20年以上会っていないですね。彼は本当に徹底していたから。オレのことをしゃべらないことに関しては。向こうは向こうで腫れ物だったんでしょう。正直それも『芸人失格』を書く原動力になりました。向こうがオレを抹消するなら、自分で自分の存在をきっちり示さないと。でも、そのうち誰かの葬式とかで会うこともあるでしょうね。その時は普通に、大人の会話をすると思います」
引用:Asagei plus(2012年)
ABブラザーズの解散の真相には芸能界の厳しい世界が垣間見れますね・・・。
松野大介さんは、ABブラザーズ解散後に渡辺プロダクションから独立し、小説家として活躍されています。
引用:X(真ん中が松野大介さん)
中山秀征は書道いつから腕前は?書道の師範は美文字王子!
引用:ORICON NEWS
ところで、中山秀征さんの書道が個展を開くほどの腕前だとしっていましたか?
2024年4月には中山さん自身初となる書道展「第一回 中山秀征書道展」を開催するにまで至っています。
現在、中山秀征さんが指導してもらっているのが美文字王子こと青山青山浩之先生なんだそうです。
引用:facebook
個展を開くほどの腕前の中山から「今、青山(浩之)先生っていう、横浜国立大学の書道の先生についていて。青山先生は僕の師匠」と明かされると「あの美文字の?」とリアクションしたジュニア。「この間、僕しゃべらせてもらいました」と明かした。
引用:スポニチ
中山秀征さんが筆を取ったのは小学生の頃、兄の影響で始めたそうです。
小学2年生で群馬書道協会賞を受賞し、中学1年生では群馬県警本部長賞を受賞しています。
中山秀征の「第一回 中山秀征書道展」は合計で3万人を超える入場数となったそうで、感謝の意を述べています。
3万人を超える入場数に感謝しかございません。藤岡市役所・みかぼみらい館職員の方々、なんといっても会場に足を運んでくださった皆さん本当にありがとうございました。生まれ育った群馬県藤岡市の70周年、初めての書道展をさせていただき感謝です。また藤岡で何かあるときは必ず帰ってきます。感謝!
引用:日刊スポーツ
中山秀征の若い頃は中島健人に似てる!ラブホ激写報道は芸能界初だった?【まとめ】
今回は中山秀征さんの若い頃が中島健人さん似ているとSNSで話題になっていたことから、中山秀征さんのでデビュー秘話から噂のラブホ激写事件についてまとめました。
最後にまとめです。
- 中山秀征の若い頃は中島健人と目元と鼻など、顔立ちとが似ている
- 中山秀征は若い頃アイドル並に女子学生に人気だった!
- 中山秀征の芸能界デビューのきっかけは第二の吉川晃司オーデイション
- 中山秀征の書道の師匠は美文字王子
最後までご覧いただきありがとうございました。
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