2013年に、AKB時代の前田敦子さんのモノマネで大ブレイクしたキンタロー。さん。
その後の低迷期を経て、「北京オリンピックの天才子供トランペッター」というネタで2022年に再ブレイクを果たしました。
現在、キンタローさんは長年在籍した松竹芸能から独立して、フリーとして活躍しています。
個人事務所を運営していますが、旦那さんの協力を得られず孤立しているようなのです。
また、キンタローさんは、モノマネに取り組む明るい姿からは想像できない苦労人の一面を持ち合わせています。
なんと学生時代から父親の介護に悩んだり、母親の突然の死を看取ったりしているのです。
そんなキンタローさんの再ブレイクや家族との関係、芸歴などについて紹介していきます。
- キンタローさんの事務所独立と再ブレイクの経緯
- キンタローさんの旦那さんとの結婚の経緯
- キンタローさんの両親と兄弟の絆
キンタローは旦那からも孤立?事務所独立の経緯と現状!
引用:スポニチ
キンタローさんは2024年3月、12年間所属していた松竹芸能から独立しました。
自身のブログで、デビューのきっかけを作ってくれた松竹芸能への感謝の言葉と共に「円満に卒業」と綴っています。
およそ12年間在籍して参りました松竹芸能を3月末を持ちまして円満に卒業する事となりました。
引用:アメブロ (キンタロー。オフィシャル)
退所について松竹芸能は、個人での活動を望むキンタローさんの意思を尊重したと報告しています。
報告はキンタローさんへの変わらぬ応援をお願いして締めくくられており、円満な退所であることが分かります。
個人で活動していきたいという意向を受け、本人の意思を尊重し、この度、専属マネジメント契約を終了することとなりました。(中略)
新たな道を歩むこととなりましたキンタロー。を、今後とも宜しくお願い申し上げます。
引用:松竹芸能
キンタローさんは退所を2年前から事務所に相談していたものの、引き止められていました。
松竹芸能は何とか残ってもらおうと、キンタローさんの希望に沿うよう仕事のやり方を変えたり話し合いを何度も重ねたりしてきました。
事務所側の調整にもかかわらず、キンタローさんの「独立したい」という思いは変わりませんでした。
最終的には事務所も引き止めをあきらめ、松竹芸能から応援される形で「円満に卒業」しました。
事務所からは、「待ってくれ」と言われていました。(中略)
私の気持ちが変わらなかったので、最後は「頑張って」と背中を押してもらいました。
引用:CHANTO WEB
独立の決意は冒険したかった
引用:Instagram
キンタローさんが事務所への退所を相談した時期は、再ブレイクの時期と前後します。
退所と独立の決意については、「このままで良いのかな」と自分の状況を見直した結果、新しい挑戦をしたいという思いがあったと語っています。
40歳を迎える前に、悩む時期があったと回顧。
「やっぱり我慢できないって、辞める、状況を変えるってなって」個人事務所を立ち上げるに至ったと語った。
引用:スポニチ
自分の未来について真剣に考える中で作られたネタが冴えていて、それが再ブレイクに繋がったのかも知れません。
独立を考える気持ちについては、29歳で上京して節目の10年目を迎える39歳に冒険したかった、とも表現しています。
もっと発展していきたかったし、事務所にいたら不可能に近いこともやってみたかったんですよね。
引用:女子SPA
また、以前からキンタローさんは事務所の中で仕事をしていることに違和感を持っていました。
事務所に所属していると、ネタ作り以外の仕事は別の担当者が行ってくれます。
しかし「自分は仕事全体の流れを知らずにネタだけをやっていて良いのか」と葛藤していたのです。
独立は、その解決方法の1つでもありました。
自立と言いますか、独り立ちはいつかしたいと思っていました。(中略)
これだけの人が関与していてひとつの仕事が成り立っているということを知って、もっと仕事の重みを感じてみたかったんです。
引用:CHANTO WEB
独立後は個人事務所に
引用:ORICON NEWS
キンタローさんは現在、自分が立ち上げた個人事務所に所属しています。
ですが、事務所のスタッフ獲得という課題に悩まされています。
キンタローさん自身がネタ作りに集中するためには、事務仕事を頼める人が必要でした。
テレビ制作会社に務める旦那さんを頼ろうとしましたが、なんと協力を断られてしまいました。
「いや、“お前とはビジネスしたくない”って…」とキンタロー。はその可能性を否定し、「旦那からも孤立してます」と肩を落としていた。
引用:スポニチ
というのもキンタローさんの旦那さんは、仕事とプライベートを分けるタイプのようです。
結婚前はキンタローさんのモノマネを見てくれるなど仕事仲間でもありましたが、結婚後は夫婦間で仕事の話はしていません。
仕事相手だと割り切って相談に乗ることはできても、感情をぶつけ合うこともある夫婦という関係でキンタローさんと向き合うのが難しいのかと思われます。
キンタローさんと同様にテレビ業界関係者と結婚した妻として、NHKのプロデューサーと結婚した女優の石田ひかりさんが挙げられます。
石田ひかりさんの場合、旦那さんとの相談は家族に関する事柄をメインにしているようです。
夫については精神面で支えられることも多い。(中略)
自分のことよりも子どものことでなにかあるとダメージは大きいし引きずります。
そういうときは旦那さんに相談したりしますね。
引用:Drama & Moie by ORICON NEWS
芸能界に身を置く夫婦は、家庭と仕事を分けるのが円満の秘訣なのかも知れませんね。
引用:Number Web
キンタローさんは、事務仕事だけでなくギャラ交渉を行ってくれるマネージャーも雇おうとしました。
ところが、キンタローさん自身が自覚している絡みづらいキャラのためか、未だにマネージャーを雇うことが出来ていません。
この状況に対処するため、キンタローさんは独自の方法を編み出しました。
得意のモノマネを活かして架空のマネージャーになりきってギャラ交渉を行っているのです。
仕方なく「会わなきゃバレない」と開き直り、現在は得意のモノマネを生かして「熊野志保」という“別人格”の架空マネジャーになりきって自分自身でギャラ交渉をしているという。
引用:スポニチ
現在キンタローさんは、契約交渉やスケジュール管理を含め、ほぼ全ての仕事を自分一人で行っていると考えられます。
早くマネージャーが見付かってネタ作りに集中できるようになると良いですね。
キンタローの再ブレイクはいつ?きっかけは?
引用:U-NEXT (2022/4/13 水曜日のダウンタウン)30-1 グランプリ
キンタローさんの再ブレイクは、2022年4月放送の「水曜日のダウンタウン」で披露した「北京オリンピックで見た天才子共トランペッター」というネタがきっかけでした。
撮影済の動画をオーディションに提出したところ審査に合格し、番組で放送されることとなりました。
本人は当時を振り返り「本当にすごくて。周りの芸人も見る目が変わったように感じた。次の日とかから、みんなが“面白いね”って」と周囲からの反応の変化を1番肌で感じたと話す。
引用:スポニチ
収録ではなく映像の提出であったため、キンタローさんは放送日までスタジオの反応が分からず恐怖を感じていました。
放送を見てスタジオの温かい反応に驚き、喜びのあまり涙を流したとのこと。
放送後の反響は予想以上で、芸人仲間だけでなく一般視聴者からも「面白い」と評価され、再び注目を集めることになりました。
キンタローさんは反応の大きさに驚き、改めて自身のTwitterで「たくさんの皆さんに喜んでもらえて幸せです」と報告しています。
引用:X(Twitter) キンタロー。
長い低迷期を抜けましたね。
このモノマネは、「コロナ禍で子供が頑張っている姿を世に広めたい」「みんなに笑顔を届けたい」という思いをキンタローさんなりに表現した結果できたものでした。
感動したんですよ。
コロナ禍の2022年に開催された、北京オリンピックの開会式で、『あんなに小さい子が、大舞台で胸を張ってラッパを吹いてる』と思って。
引用:Ameba News
キンタローの旦那はどんな人?
引用:WEB ザ テレビジョン
キンタローさんの旦那さんは、テレビ制作会社に勤務する3歳年上の小杉隆史さんです。
キンタローさんと出会った時は、モノマネ番組のディレクターを務めていました。
旦那さんは仕事熱心な方で、視聴者からのフィードバックを大切にし、番組制作に新しい試みを取り入れる努力をされています。
夫・小杉隆史さんが有能な方であることは業界では知れ渡っているようです。
キンタローさんのネタが面白い時には旦那さんの力を借りたと誤解されてしまうことがあると語っています。
自力で考えたネタにも関わらず、旦那さんの評判が良くなることに怒りを隠せません。
「何も考えてくれないのになんで旦那だけ株上がってんの?」と不満を語った。
引用:日刊スポーツ
馴れ初めは?
引用:Lmaga.jp
キンタローさんと旦那さんの初対面は喫茶店でのモノマネの打合せのことでした。
キンタローさんは「眉毛さがってるし優しそう」と当時のことをブログに記しています。
初対面以降も特別な印象はありませんでしたが、「ものまね紅白歌合戦」の収録時に旦那さんへの意識が大きく変わりました。
キンタローさんは自分のネタが不安で、旦那さんに頼んで見てもらいました。
ネタを見終わった旦那さんが「大丈夫、俺がいるから」と言葉をかけてくれたことがターニングポイントとなりました。
笑いもせず見てネタをやりきった後に(夫が)“大丈夫、俺がいるから”って言ったんですよ
引用:スポニチ
キンタローさんは、それを告白として受け取って積極的に旦那さんへのアプローチを開始しました。
ネタを一緒に考えてもらうなど一緒に過ごす時間を増やす中で親密になっていき、交際関係に発展しました。
キンタローさんが告白と受け取った言葉について交際後に旦那さんに確認したところ、キンタローさんの勘違いであることが分かりました。
付き合うようになってから“あれって告白だよね”って聞いたら“え?そんなこと言った?全然そんなつもりなかった”とか言って…ガッカリしました
引用:スポニチ
キンタローさんと旦那さんとの恋愛は、ネタの相談から勘違いで始まり、めでたく結婚に至りました。
ところが結婚後は、旦那さんへの仕事の相談を断られる関係になってしまいました。
結婚後には「“一切仕事の話はしたくない”って言いだして“お前と話すとイライラする”って」と夫に言われてしまったことを嘆いた。
引用:スポニチ
「夫婦でありながら仕事仲間でもある」という関係を築くのが難しかったのかと思われます。
子供はいるの?エピソード!
引用:Instagram
キンタローさんと旦那さんの間には、2人の子供がいます。
2020年1月に長女、2021年12月に次女を出産しました。
名前は公開されていませんが、キンタローさんのSNSでは長女が「ちびキン」、次女は「ミニキン」と呼ばれています。
キンタローさんのブログには、育児の苦労が綴られています。
引用:アメブロ (キンタロー)
おんぶで眠ってからの寝かし付けでお子さんを起こしてしまうことについて、「勝率0.0000009%ですよ」と記しました。
そんな苦労からか、子供への対応でキンタローさん独自の工夫を行うように。
キンタローさんは子供をあやす時につい職業病で顔芸をしてしまうのですが、長女がマネをするようになったとのことです。
引用:FNN (不妊治療について語るキンタローの旦那さん)
なおキンタローさんは、不妊治療として旦那さんの精子を自身の中に戻す方法で受精したことを明かしています。
不妊治療の種類については、ダンス企画中に自身に異常はなかったものの、夫の男性不妊が検査で判明したため、最終的には顕微授精を選択したことを明かしている。
引用:スポニチ
キンタローはお笑いの天才!幼少期からの経歴を知りたい
引用:Twitter (キンタロー。) コロッケさんと。
キンタローさんは、幼い頃からお笑いへの強い憧れがありました。
特に、モノマネタレントのコロッケさんが大好きでした。
家族や同級生に対してモノマネを披露するなど、早くから芸人としての素質を見せていました。
そんな私がお笑い芸人を目指そうと思ったのは、小学3年生の時。(中略)
私がみんなを笑顔にしている、その衝撃、この快感。
「笑いの力」を感じた、忘れられない日になりました。
引用:婦人公論
引用:Instagram (高校卒業時)
キンタローさんは大学時代からお笑い芸人を目指していました。
芸人としての活躍に生かせそうな部活を探した結果、「日常生活と掛け離れた世界」と感じた社交ダンス部に入部しました。
入部後に練習を重ね、大学生活の集大成とも言える大会のサンバ部門で4位を獲得する結果に。
引用:アメブロ (埋め込み動画) キンタローオフィシャル 全国4位獲得時
キンタローさんは大学卒業後の進路として、お笑いと社交ダンスのどちらの道に進むか迷っていました。
当時好きだった男性に「どちらかにしろ」と言われ、社交ダンスの道を選び講師の職に就きました。
社交ダンス講師として数年の勤務の後、お母さんの急死により実家に戻り、お父さんの介護の日々が約3年続きました。
お父さんの介護から離れた時、キンタローさんは自分の生き方を改めて考え直してみました。
キンタローさんは、天国にいる母に笑顔を届けたいとの思いから一度は諦めていたお笑いの道を再び目指すことにしました。
2011年に29歳で松竹芸能タレントスクールに入学し、キンタローさんの芸人としての活動が始まりました。
キンタローはどんな両親や家族と育ったの?こんな面白い人が育つ家庭環境は?
引用:アメブロ (キンタローの両親と妹 )
キンタローさんは1981年、愛知県岡崎市でビジネス旅館を経営する父と、専業主婦の母の間に生まれました。
小学生の頃から人を笑わせることやモノマネが好きな子供でした。
意外なことに、そんなキンタローさんを育てたのは決して明るいとは言えない家庭環境でした。
キンタローさんが小学生の頃、お父さんは収入の不安定さによる精神的負担から躁鬱病にかかってしまいます。
お母さんはキンタローさんの成人後に、収入への不安からなんと自ら命を絶ってしまいました。
ブレイクに至るまでには実家の経済的困窮や母親の自殺など、壮絶な半生を送ってきたことが一部報道により明らかとなり、話題となった。
引用:RBB TODAY
暗い雰囲気の家庭を少しでも明るく和ませようとしたキンタローさんなりの努力が、今のお笑いへの道に繋がっているのかも知れません。
キンタローさんのご両親について紹介していきます。
キンタロー幼少期の両親
引用:アメブロ (キンタロー。オフィシャル) 左から本人、妹、父
キンタローさんが生まれた後、お父さんはそれまで経営していた旅館をテナントビルに建て替えました。
テナント業の収入は、ビルにテナントが入れば大幅に増加しますが、テナントが出ていくと大幅に減少します。
キンタローさんが小学生の時、テナントが出ていくことの収入減少による心労から、お父さんは躁鬱病を患ってしまいます。
テナントが出てうつ病を繰り返すたび、子供の私から見ても分かるほど気分が落ち込んでしまい、家族全員が心配していました。
引用:読売新聞
お父さんは、薬の副作用で会話さえ難しい場合もあったとのこと。
そんなお父さんの面倒は、主にお母さんが見ていてくれました。
キンタローの再ブレイクは母親の死をこえて!父親の介護は?
引用:Instagram (キンタロー。) 右は母。
キンタローさんは母の日、自身のインスタグラムに母への感謝の思いを投稿しました。
みんなを太陽みたいに照らした明るくて面白いお母さんがいたから私があります。
引用:Instagram
キンタローさんが高校卒業後に社交ダンスを始めた時、その上達を誰よりも喜んでくれたのもお母さんでした。
そんなお母さんですが、キンタローさんが26歳の時、自分の命を絶ってしまいました。
その背景には、お父さんの躁鬱病の原因となった貸テナント業の経営不振がありました。
不景気で、ご両親の所有するビルに全くテナントが入らなくなっていった (中略)
母親は、ビルの屋上から飛び降り、自ら命を絶った。
引用:NEWS ポストセブン
母の急死を知った当時26歳のキンタローさんは、ダンス講師の仕事を辞めて実家に戻りました。
お父さんは、お母さんを失ったショックで躁鬱病を悪化させてしまい、貸テナント業を経営できる状態ではありませんでした。
キンタローさんは妹と共に、お父さんの介護をしつつ貸テナント業を運営するようになりました。
波乱万丈ですね・・・。
引用:アメブロ (キンタロー オフィシャル)
キンタローさんは、その後の約3年間お父さんの介護を務めていました。
お父さんが患っている躁鬱病は、気分が沈んでいる鬱の状態と、極端に調子が良くなって活発になる躁が交互に現れる病気でした。
躁状態になると罵声を浴びせたり勝手な行動を取るなど何をするか分からないため、キンタローさんはお父さんに付きっきりで介護する生活となりました。
勝手に車に乗ってお店に買い物に行ってしまったり、あげくにお金がないのに土地を買ってしまうこともありました。
引用:みんなの介護
お父さんは介護が必要な状態であったため、キンタローさんは行政を頼ろうとしました。
ですが、自力で歩くことができるためお父さんは健康であると判断されてしまいました。
そのため行政の支援を受けることが出来ず、介護はキンタローさんと妹さんが負担することになりました。
父が受けた要介護度の審査では、メンタル面よりも目に見える身体的な能力を重視されているような印象を受けました。
健康な人と同等に見なされてしまったようです。
引用:みんなの介護
キンタローさんは、今で言う「ヤングケアラー」でした。
引用:女性自身
その後、お父さんが老人ホームに入ったことでキンタローさんの手が空くようになりました。
これから自分が何をして生きていくかを考えた結果、芸人の道を選びました。
キンタローさんが芸人を目指したのは、失った母親を思ってのことでした。
私が芸人になったら、母も天国できっと笑顔になってくれるに違いないという思いもありました。
引用:みんなの介護
「天国にいるお母さんに頑張っている姿を見せたい」という思いが、松竹芸能でのお笑いの仕事につながりました。
キンタローさんは見事にお母さんの死を乗り越えて1回目のブレイク、そして低迷期を抜けて再ブレイクを果たしたのです。
兄弟について
引用:アメブロ (あんちゃんオフィシャル) 左は妹さん
キンタローさんには、5歳年下の妹がいます。
キンタローさん姉妹は、躁鬱病を抱えるお父さんの介護や、お母さんの死を共に支え合って乗り越えた強い絆で結ばれています。
私は妹と2人姉妹で、両親からたくさんの愛情を注いでもらって育ちました。
20代でそんな親の病気や介護、死に直面したのですが、あの時、妹の存在がどれだけ大きかったか。
引用:婦人公論
また、キンタローさんがモノマネを始めるきっかけを作ったのも妹さんでした。
年の離れた妹さんの気を引くため、キンタローさんがお父さんのくしゃみをマネしたところ、妹さんは笑ってくれました。
これが、初めてのモノマネであるとキンタローさんは語っています。
妹に『お父さんのくしゃみってこうじゃない? ブラッホン!!』ってマネをしたら笑ってくれたんです。
妹は5歳差で、年が離れていたので、どうにか気を引きたくて。父のネタは『わかる!』って寄ってきてくれて、うれしかったです
引用:女性自身
妹さんは、キンタローさんの知られざる素顔や面白エピソードなども投稿していくとして、独自のブログを開設・運営しています。
姉との面白暴露エピソード、姉のテレビでは見せない姿 (中略)色々投稿して行こうかと思っています」
いつも姉(キンタロー。)の応援ありがとうございます
引用:アメブロ (キンタローの妹さん)
ブログの中で、妹さんはキンタローさんが子供の頃から家族を笑顔にしてくれていたとも綴っています。
姉はやはり小さい時から人を笑わせることが大好きで、よくわたしたち家族を笑わせてくれました
引用:アメブロ (キンタローの妹さん)
キンタローは旦那から孤立でも再ブレイク?幼少期からの経歴と母親の死をこえて!【まとめ】
ここまで、キンタローさんの事務所独立や旦那さんとの結婚の経緯、壮絶な実家の苦労を乗り越えての芸人としての活動について紹介してきました。
まとめです。
- キンタローは松竹芸能から円満退所したが、個人事務所の運営は前途多難である。
- 仕事を通して知り合った旦那との間に2女をもうけており、円満な家庭を築いている。
- キンタローは母親の死や父の介護を乗り越えて再ブレイクを果たした。
最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございます。
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