パリオリンピックのメダル候補のひとり、日本卓球のエース早田ひな選手。
なんと、元々は右利きの早田ひな選手を幼少期にサウスポーに変えて育成してきたのは石田卓球の女先生なのです!!
その早田ひな選手の卓球技術の成長には、石田卓球が大きく関わっていることはあまり知られていない事実です!
現在は、石田卓球の三男・石田大輔さんが、早田ひな選手の専属コーチを務めています。
今回は、早田ひな選手と石田卓球の20年来の密接な関係について明らかにします。
早田ひな選手の母親やお姉さんもかなりの美貌ですが、写真を入手してありますので是非ご覧くださいませ。
アイドルのような可愛いらしさと世界トップレベルの実力から卓球ファン内外から大注目されています。
- 早田ひなの利き手の変更もコーチの指導だった!
- 早田ひなの出身の石田卓球クラブ!(石田卓球N+)について
- 早田ひなのコーチは何者?
- 早田ひなの家族構成について
早田ひなの左利きへの利き手の変更もコーチの指導だった!
早田ひな選手は4歳で卓球を始めました。
福原愛さんや張本智和さんなど多くの日本TOP選手は、幼少期から自宅にてトレーニング環境があったり親が卓球に精通されたりというパターンが多いように思います。
そういう意味では、地元の卓球クラブに通って開花した早田ひな選手は新たなロールモデルかも知れません。
もともと右利きでしたが、卓球を始めてすぐに左利きでラケットを握り利き手の変更をしました。
早田選手がサウスポー選手になったきっかけになったのは、目利きのコーチのおかげだそうです。
引用:デイリースポーツ
女先生のアドバイス
早田ひな選手は、北九州市八幡西区の石田卓球N+(エヌプラス)で卓球を始めました。
早田選手はそれまで卓球ラケットを握った事がなかったそうです。
私の両親は卓球経験者ではないので、石田卓球N+では女先生(石田千栄子先生)にラケットの握り方から教わりました。本来右利きの私ですが体のバランスを見て左で始めるように勧めてくれたのも女先生です。女先生との出会いがなければ今の卓球選手の私は存在していないと思っています。
引用:Rallys
石田卓球N+では、入団するとまず、女先生が体のバランスやフォームのチェックをするのですが、早田ひな選手にケンケンをさせたところ右足で跳んだそうです。
普通は利き手とは逆の足で跳ぶ子供が多い事、早田選手の父親も左利きという事から左利きを勧めました。
引用:中日新聞(女先生こと石田千栄子先生)
「フォーム作りの担当は女先生(妻の千栄子さん)なんですよ。卓球を初めて半年経つともうフォームの癖は直らない。だからすぐに女先生が徹底して直すんですね。ゴムチューブで引っ張ったり、台の上で素振りしたり、色々しますよ」(石田氏)と幼少期のフォーム矯正は大切だという。
引用:Rallys
卓球を始めて半年という期間が大事で、早田選手は左手で卓球を始めました。
ラケットを握ってすぐに、左手で覚えたことで、左利きの卓球選手として開花したのだそうです。
女先生の目利きがなければ、早田選手が日本代表になっていなかったかもしれませんね。
早田ひなの出身の石田卓球クラブ(石田卓球N+)について!
卓球の全国大会の結果を見てみると、「石田卓球N+」や「石田卓球クラブ」という名称をよく見かけ、どう違うのか疑問に思った人も多いのではないでしょうか?
早田ひな選手のインタビューなどを見てみると、「石田卓球N+」で卓球を教わったという記事をよく見かけますね。
引用:ニッタク(石田卓球クラブ時代の早田ひな選手)
石田卓球クラブと石田卓球N+の違いは?
石田卓球クラブと石田卓球N+って何が違うのでしょうか?
それぞれのホームページを見てみると・・・
- 石田卓球クラブ:福岡県中間市垣生1274-1
- 石田卓球N+:福岡県北九州市八幡西区則松1丁目6-30
所在地が違いますね。
この2つのクラブは、車で16分くらいの距離だそうです。
どちらも同じ経営で石田さん一家が運営しているようです。
支部が違うという感じでしょうか。
大会には、それぞれのクラブ名で出場しているようです。
石田卓球は家族経営?どんなコーチがいるの?
引用:Rallys(左は長男・弘樹さん、右は父・石田眞行さん)
石田卓球N+は、家族で卓球を教えています。
それぞれ教える年齢を分担しているそうです。
- 小学生2年生までのバンビ:女先生(石田千栄子先生)
- 小3から中学生(中間東中):長男の弘樹さん
- 高校(希望が丘高校)男子:次男の真太郎さん
- 高校(希望が丘高校)女子:男先生(石田眞行監督)
- 早田ひな選手の専属コーチ:三男の大輔さん
卓球クラブでは珍しい子供から高校卒業までの一貫指導体制を家族総出で行なっているそうです。
オリンピックに出場している卒業生の岸川聖也さんも石田卓球の指導に賞賛を送っています。
「間違いなく日本一の指導者。厳しい指導にも愛がある。技術、戦術、メンタルの全ての教え方が抜群にうまいんですよね。あと石田出身の選手はみんなフォームが綺麗。早田も田添兄弟もそのおかげで伸びた。あとは沢山練習して、戦い方を覚えればもっと強くなれる」と絶賛する。
引用:Rallys(岸川聖也さんのコメント)
オリンピック選手を輩出
石田卓球出身のオリンピック選手は、早田ひな選手以外にもいるのです!
早田ひな選手の先輩には、岸川聖也さんがいます。
名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
岸川 聖也(きしかわ せいや, 1987年5月21日- )は、日本の卓球選手。168cm、68kg。世界選手権で混合ダブルス、団体、男子ダブルスの銅メダリスト。7大会連続メダル獲得。北京オリンピック、ロンドンオリンピックの卓球日本代表(シングルス、団体)。ロンドン五輪男子初のシングルス5位入賞者。
引用:Wikipedia
引用:バタフライ
岸川さんは、混合ダブルスで、福原愛さんのパートナーとして数々の世界大会を戦ってきた卓球選手です。
早田ひな選手は、2012年のロンドのリンピックの岸川さんの姿を見て、オリンピックを意識するようになったそうです。
早田ひなのコーチは何者?
石田卓球で育った早田ひな選手ですが、その中でも現在も専属コーチを務めている石田大輔さんの存在が大きいそうです。
石田家の三男である大輔さんも石田卓球で卓球を学んで育ちました。
選手としては、スウェーデンやデンマークでプロ選手として活躍した実績もあります。
引用:Rallys(右、石田大輔コーチ)
石田大輔コーチの経歴
石田大輔コーチは、スウェーデンとデンマークでプロ卓球選手として活躍しました。
選手引退後は、スポーツメーカーのミズノに入社しました。
自身も選手として活躍した経験を活かし、ミズノでは主に卓球用具の担当をしていたそうです。
ミズノの社員としても、多くの卓球選手をサポートしており、全国大会はもちろん、多くの卓球大会の会場でその姿を見ることができました。
その後、早田ひな選手の専属コーチの話があり、悩んだ結果、ミズノを退職し早田選手の専属コーチに就任したそうです。
自身にとっても感慨深い名誉でもある。石田コーチは約9年前までミズノ社の社員として所属していた。過去の同賞表彰式にもアテンドする側として参加したこともあるといい、早田の専属コーチに専念するために退社した経緯がある。 それだけに「あの時の覚悟が良かったなとは思っています。本当に好きな会社だったからこそ、辞める時には相当ね、人生悔いのないように辞めなきゃなっていう覚悟があった。辞めなきゃよかったって思いたくはないし、そこの覚悟は誰よりも強かった」と振り返る。人生を懸けて〝まな弟子〟と歩んできたかけがえのない大切な時間を、盛夏のパリで結実させる決意だ。
引用:Yahoo!ニュース
現在は、早田ひな選手が所属している日本生命のコーチとして在籍しています。
また、日本卓球協会の女子ナショナルチームのコーチにもなっています。
コーチと歩んだ20年
引用:週プレNEWS
早田ひな選手は4歳で石田卓球N+で卓球を始め、24歳になった現在も石田卓球とともに世界を舞台に戦っています。
卓球を始めてすぐは、女先生こと石田千栄子先生に卓球の基礎や楽しさを教わりました。
中学までは、長男の弘樹さんに、高校では父の眞行さんに指導を受けてきました。
そして、パリオリンピック代表が決まり、メダルを目指している現在は、三男の大輔さんが専属コーチを務めています。
早田は4歳から北九州市の「石田卓球N+」で卓球を始めた。最初は石田コーチの母でもある千栄子さんが基礎と楽しさを伝え、その後は父の真行代表らが指導してめきめきと頭角を現した。石田コーチは早田が中学3年の時から家族から引き継ぐ形で専属として、徹底サポートする「チームひな」のメンバーとともに世界のトップ選手へと育て上げた。
引用:Yahoo!ニュース
現在、石田卓球N+、石田卓球クラブでは、早田ひな選手を目標にがんばっている卓球少年・少女がたくさんいて、全国大会でも常に上位に名前を連ねています。
今後も石田卓球からオリンピアンが誕生する可能性は高いのではないでしょうか。
早田ひなの家族構成について
引用:Instagram
早田ひな選手は、両親と姉の4人家族です。
おばあちゃんも海外での試合に応援に駆けつけていたので、同居かもしれませんね。
ご両親は卓球経験者ではなかったそうですが、いったいどんな家族構成なのでしょうか?
【写真】父と母はどんな人?
早田ひな選手のお父さんは、早田力(いさお)さんと言うそうです。
引用:Facebook
父・力さんは、社会人でサッカーをしていたそうです。
そのため、早田ひなさんにもサッカーをさせたかったそうです。
ちなみに早田の父は、社会人サッカーチームの選手である。「お父さんはサッカーをやらせたかったみたいですが、お母さんが、日焼けして色が黒くなるから駄目だと言って(笑)」
引用:Rallys
早田ひな選手の母親は、早田康恵(やすえ)さんと言います。
康恵さんは、日刊スポーツの「アスレシピ」に登場しています。
引用:アスレシピ(母・早田康恵さん)
アスレシピに登場したのは、5年前の2019年で当時は46歳でした。
現在、51歳になっていますが、とても美人なお母さんですね!
康恵さんは、海外遠征の多い早田選手のために、栄養学を学んだそうです。
早田は現在身長167センチ。中学時代から身長に恵まれていながらも、筋力不足でケガが多かった。家庭内では母と姉が一体となって食事を完全サポート。専門家がトレーニングを改善し、ケガも減っていった。
引用:アスレシピ
世界で戦う早田ひな選手の身体づくりは、家族のサポートがあってのことなんですね。
お姉さんは美女だけど既婚者!お仕事は?
早田ひな選手には5歳年上の姉がいます。名前はすみれさんといいます。
姉のすみれさんが先に卓球を始めました。
引用:Instagram
姉のすみれさんは美人と評判ですが既婚者のようですよ!
すみれさんも小さい頃から卓球をしていましたが、卓球選手の道は選ばなかったそうです。
早田ひなさんのために、栄養学を学んだそうで、それがひなさんの活躍につながっているそうです!
ちなみに早田選手は、普段から体重の増減が大きく、飛行機でヨーロッパへ移動するとそれだけで体重が1〜2㎏増えるという。海外に行き始めた頃は、現地に到着してから無理な食事制限で体重を落とそうとした結果、必要な栄養まで不足してしまい、試合で本当の力が発揮できないという失敗を何度も繰り返していた。
引用:酒井医療株式会社
「そんな様子を見かねて、その何年か後、5歳上の姉が私をサポートするために栄養士の資格をとってくれました。もちろんトレーニングコーチなどからもアドバイスはもらっていますが、同じ女性で体型も体質も似ている姉からのアドバイスは本当に心強く感じています」
早田ひなと家族ぐるみの石田卓球とコーチは何者?【まとめ】
最後に今回の記事のまとめです。
- 早田ひなが左利きなのは、女先生(石田千栄子さん)のアドバイスのおかげ
- 石田卓球は家族ぐるみで早田ひなを指導している
- 早田ひなの専属コーチは、元プロ卓球選手の石田大輔さん
パリオリンピックでは、卓球競技も注目ですね!
最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
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