オーストラリアから日本に国籍変更をし、パリオリンピックのサーフィン競技での出場を決めたコナー・柄沢・オレアリー選手。
オーストラリアのシドニー南部・クロヌラ育ちのコナー・オレアリーは、サーフィン日本代表3人目の枠を獲得しました。
6フィート1インチ(約185.4cm)という大柄な体型でパワフルなスタイルのコナー選手は、パリ五輪でのメダルを期待される選手の一人です。
お名前のミドルネーム「柄沢」とあるように母親が日本人のハーフなのです。
しかしコナー・オレアリー選手が日本国籍を取得するのは、簡単ではありませんでした。
今回は、パリ五輪での活躍が期待されるコナー・オレアリー選手の日本国籍取得の理由を紹介していきます。
また、ライバルの五十嵐カノア選手との実力の比較もしましたので、最後までお付き合いください。
- コナー・オレアリーの国籍変更が五輪に間に合った!
- コナー・オレアリーが国籍変更した5つの理由
- コナー・オレアリーの実力は五十嵐カノアより上?
コナー・オレアリーの国籍変更が五輪に間に合った!
引用:WAVAL
コナー・オレアリー選手は、2023年8月に国際サーフィン連盟から日本への移籍が認められ、パリオリンピックに間に合いました。
スポーツ選手の国籍変更は、サーフィンに限らず簡単なことではありません。
コナー選手の場合もすぐには申請が認められずに、難航しました。
まずは、コナー選手のオーストラリアから日本へ移籍が認められるまでの流れを紹介していきます。
2022年5月 日本移籍を決断
コナー・オレアリー選手は、2022年に日本移籍を決断しました。
しかし、手続きは難航。
2023年シーズンを日本籍で参戦することができませんでした。
2023年ワールドサーフィンゲームス出場断念
コナー・オレアリー選手は、パリオリンピックの出場をかけたワールド・サーフィン・ゲームズ(WSG)に出場することはできませんでした。
そのまま出場してしまうと18ヶ月間、国籍を変えることができなかったそうです。
オーストラリア代表として五輪を目指すか、日本代表として五輪を目指すかの選択に迫られてしまいます。
コナー・オレアリー選手の決断は、日本代表でした。
なお、2023年のチャンピオンシップ・ツアー(CT)はオーストラリア籍での参戦ということになりました。
引用:Olympic
2023年8月に日本移籍が認められる
2023年6月になり、ようやくNSA(一般社団法人日本サーフィン連盟)よりISA(国際サーフィン連盟)へ申請書を提出することができました。
その2ヶ月後の2023年8月、国際サーフィン連盟(ISA)がコナー選手のオーストラリアから日本への移籍変更を承認したことが発表されました。
これにより、コナー・オレアリー選手は日本人選手として、代表選考を兼ねた2024 ISA WSG プエルトリコに出場できることになりました。
タイミングとしては、パリオリンピックに出場できるかどうか、本当にギリギリでした。
コナー・オレアリーが国籍変更した5つの理由
正式に日本への国籍変更が認められたコナー・オレアリー選手ですが、どうして日本移籍を決断したのでしょうか?
一番大きな理由は、パリオリンピック出場のためですが、理由はそれだけではなかったのです。
コナー・オレアリー選手の日本への国籍変更を決断した理由を紹介していきたいと思います。
国籍変更した理由① 母親が日本人だから
まず、コナー・オレアリー選手が国籍を変更した理由のひとつが、お母さんの柄沢明美さんが日本人だからです。
父のフィンバー・オレアリーさんは、アイルランド系のオーストラリア人です。
コナー・オレアリー選手は、オーストラリア人と日本人のハーフなんです。
引用:デイリースポーツ(右は母・柄沢明美さん)
「私の母親は日本人なんです。だから、自分の中に元々、日本のカルチャーを持っています。今でも、それについてもっとたくさん学びたいと思っているし、自分の日本の部分も大切にしています。将来、自分の子供ができた時は、自分の子供にもそれ(日本のルーツ)を伝えていきたいとも思っています。」
引用:SURFMEDIA
母・明美さんは、コナー選手を出産した頃は英語があまり話せませんでした。
コナー選手自身も幼稚園に上がるまでは、日本語しか話せなかったとのことです。
また、コナー選手が小学生の頃は、家の中は日本文化が中心で、家の外に出るとオーストラリア文化という環境で育ちました。
コナー選手の中で、大人になっていくにつれ、日本文化の存在が大きくなっていったのです。
ーお母様へは相談しましたか?
基本的には自分で決めました。もしかしたら、母の中には「日本代表として戦って欲しい」という想いはあったのかもしれませんが、今回の移籍は自分が決めたことで、今後も日本の代表としてサーフィンを続けていきたいと思っています。何か決定的なトリガーがあったわけではないけど、年齢を重ねるごとに、自分の中にある日本の文化が大きくなってきて、オーストラリアで生活をしていると失いがちの部分ですが、もう一度きちんと取り戻して、将来の自分の子供にも、残していきたいと思っています。
引用:THE SURF NEWS
また、コナー選手のサーフィンのルーツは日本だそうです。
母の明美さんは元プロサーファーで、1985年度の日本ショートボード女子グランドチャンピオンなのです。
そんな母・明美さんを頼って来豪した日本人サーファーが数多くいて、そんな環境の中でサーフィンに触れてきたのだそうです。
ママは彼女を頼ってオーストラリアに来る日本の子供達の面倒を見ていたから、僕は自分がサーフィンを本格的に始める前から、彼らと遊んでいたんだ。
辻裕次郎や大橋海人、仲野マー君、達也(深川)他にもたくさんのサーファーと遊んでいた。自分がサーフィンを始めたのは裕次郎(辻)のお古の板だったんだよ。
引用:SURFMEDIA
国籍変更した理由② ハーフの自分にしかできないこと
コナー・オレアリー選手が日本代表を選んだ理由は、自分のルーツのためだけではありません。
オーストラリアと日本のハーフの自分だからできることをしたいという思いがあったそうです。
日本を選んだ理由。単純に自分のルーツだけで選んだわけではない。それよりも自分にしかできないこと。オーストラリアと日本のルーツがある自分だからこそできること。それがこの日本での代表となることだった。
引用:SURFMEDIA
コナー・オレアリー選手は、幼少期は、オーストラリア人の同世代に囲まれて育ちました。
そのため、ハーフであることで苦労したそうです。
そういった経験からも、自分が日本代表になることで、同じ境遇の人たちに伝えられることがあるのではないかと考えています。
引用:WAVAL
国籍変更した理由③ 日本側からの打診?
コナー・オレアリー選手が日本に国籍を変える事ができると分かったのは、日本側からの打診がきっかけなのではないかと言われています。
コナー選手は2021年に開催された東京オリンピックのサーフィン競技をテレビ中継で見て、自分もオリンピックに出場したいと思うようになったそうです。
そのころ、”日本代表にならないか?”と打診があったそうです。
ちょうどそのころ、明美さんの知人から、コナーが日本代表になる気はないかと打診があった。明美さんが意思を尋ねると、コナーは「え、ぼく日本に移ってもいいの?」と驚いたという。「あんた日本のパスポート持ってんだからいけるよ」と話した。コナーはすでに、CTの2021年シーズンから、自らのジャージの両肩に日豪2つの国旗をつけていた。
引用:THE SURF NEWS
母・明美さんの知人が、誰なのかはわかっていませんが、日本代表の関係者だったのではないかと思われます。
明美さん自身もサーファーとしてグランドチャンピオンの実績があるので、日本プロサーフィン協会や日本サーフィン連盟に知り合いが居てもおかしくありませんね。
コナー・オレアリー選手は、CTに出場する時のユニフォームには、オーストラリアの国旗とともに日本の国旗もつけていました。
これは、妻のステファニーさんからのアドバイスだったそうです。
それも日本代表関係者の目に留まった理由のひとつかもしれませんね。
国籍変更した理由④ オリンピック出場のため
コナー・オレアリー選手の国籍変更の一番の理由は、パリオリンピックへの出場のためと言われています。
オーストラリア代表として、オリンピックに出場する可能性もありましたが、コナー選手は、自身のアイデンティティや今後の活動を考え、日本代表を選んだそうです。
引用:SBS
彼はオリンピック出場の可能性を高めるため、日本代表に転向したと言われている。
「オーストラリア代表として出場権を獲得することも素晴らしいことですが、今の自分のキャリアを考えると、(日本代表は)視野を広げる素晴らしい方法です」と、オレアリーは昨年、SBS日本語放送のインタビューに答えている。
引用:ARAB NEWS
また、母・明美さんもよりチャンスのある方を選んでほしいと思っていたそうです。
オーストラリア代表になる気持ちはなかったのか。明美さんは率直に打ち明ける。「オーストラリア代表でもよかったんだけど、日本の方がよりチャンスがある。持ってるものは使って出た方がいいと思っていた。だけど、こんなに大変とは」
引用:THE SURF NEWS
その後、手続きに難航したものの、無事日本代表の権利を得ています。
コナー・オレアリー選手が日本を選択した時点では、日本代表男子の何人がオリンピックに出場できるか決まっていませんでした。
その後2022年に五十嵐カノア選手の活躍もあり、日本代表男子は3名がパリオリンピックに出場でき、その1枠をコナー・オレアリー選手が勝ち取りました。
国籍変更した理由⑤ 若者の手本となるため
コナー・オレアリー選手は、日本の若いサーファーのお手本になりたいと話しています。
コナー選手は、幼少期、海が怖くてサーフィンができないこともありましたが、努力の結果、オリンピアンになれたことに誇りを持っています。
その経験から日本の若いサーファーの良いお手本になりたいと思っています。
そんな自分の経験を日本の若い世代のサーファーにも知ってほしい。「いいかい?僕らは特別なわけじゃない。今の君たちと同じような失敗をしてきたし、今だって間違うこともある」と言ってあげたい。彼らにインスピレーションを与えて、「誰でもやればできる」ということを伝えるのが自分の使命だと思っています。日本の若いサーファーたちのいい手本になれたらうれしいです。
引用:CITIZEN
そして、パリオリンピックでの目標は、メダル獲得だそうです。
オーストラリアで日本人サーファーに囲まれて育ったコナー・オレアリー選手なので、日本のために頑張りたいという思いもあるのですね。
オリンピックの出場権を獲得することができれば、目標は日本のためにメダルを獲得することだと言う。それは自分自身だけでなく、日本や、すべての未来のアスリートにとって夢と希望、そして成功への道を示すことができるから。
「だから、国を代表してオリンピックに出場できるのなら、自分にとって最高の場所だと思っています。そして、日本のためにメダルを持って帰れるように、全力を尽くして、一生懸命練習して頑張りたいと思います。」
引用:SURFMEDIA
コナー・オレアリーの実力は五十嵐カノアより上?
コナー・オレアリー選手は、パリオリンピックでは同じ日本代表として戦う五十嵐カノア選手とたびたび比較されます。
五十嵐カノア選手はアメリカ・カリフォルニア育ちのプロサーファーです。
場所は違えど、海外で育ったサーファーとして注目を浴びる二人ですが、小さい頃から接点があったようです。
東京オリンピックでメダルを獲得している五十嵐カノア選手に比べ、コナー選手の実力はどうなのでしょうか?
過去の実績から比較していきたいと思います。
引用:SURFMEDIA
五十嵐カノアと世界ランキングや入賞歴の比較
五十嵐カノア選手は3歳でサーフィンを始めて、6歳でローカルコンテスト(地元大会)に参加しています。
それに比べ、コナー・オレアリー選手は9歳でサーフィンのスタートしています。
年齢はコナー選手の方が4歳年上ですが、サーフィン歴はカノア選手の方が6年長いのです。
コナー・オレアリー | 五十嵐カノア |
9歳(2002年) | 3歳(2000年) |
「現在、パリ2024オリンピック条件付き出場権獲得者の五十嵐カノア選手と稲葉玲王選手についての関係性」を問われると「カノアと玲王は本当に長い付き合いで、とても良い友達なんです。彼らがプロサーファーとして成功していることを嬉しく思いますし、オリンピックのチケットを手に入れたことを嬉しく思っています。それは日本のサーフィン界だけでなく、サーフィン界全体にとって素晴らしいニュースになったと思います。
引用:SURFMEDIA
小さい頃からよく知っている友人同士ですが、サーフィンの実力はどうなのでしょうか?
チャンピオンシップ・ツアーではたびたび対戦しており、成績は常に肉薄しています。
CTランキングは2023年に逆転!?
チャンピオンシップツアーのポイントを競うCT世界ランキングで比較していきたいと思います。
CTランキングは、World Surf Leagueが組織する世界最高峰のプロサーフィンツアーである「チャンピオンシップツアー(CT)」の男子ランキングのことです。
チャンピオンシップツアー参戦は、五十嵐カノア選手の方が早く、コナー・オレアリー選手は2017年から参戦しています。
コナー選手は2021年は28位でしたが、翌年は9位と成績を伸ばしています。
そして、昨年2023年には、五十嵐カノア選手を超え、コナー・オレアリー選手が日本人トップになりました。
ここ3年間のCTの成績はこちらです。
CTランキング | コナー・オレアリー | 五十嵐カノア |
2021年 | 28位 | 8位 |
2022年 | 9位 | 5位 |
2023年 | 11位 | 14位 |
また、CT以外の実績を比較してみると、五十嵐カノア選手の東京オリンピック銀メダルにどうしても目がいってしまいます。
しかし、実力は肉薄しており、当日の波のコンディション次第では、どちらが上に行くかはわかりません。
パリオリンピックでは、どちらも優勝を狙えるポジションにいることは間違いありません。
稲葉玲王選手を含めた3選手がどういった結果を残してくれるか楽しみですね!
引用:スポニチ(左からコナー・オレアリー、五十嵐カノア、稲葉玲王)
五十嵐カノアとの経歴の比較
コナー・オレアリー選手と五十嵐カノア選手はどちらも最初は出身のオーストラリア、アメリカの登録で活動していました。
どちらも日本にルーツを持ち、海外で育ったサーファーで、日の丸を背負ってオリンピックに臨みます。
コナー・オレアリー | 五十嵐カノア | |
年齢 | 30歳 | 26歳 |
生年月日 | 1993年10月12日 | 1997年10月1日 |
出身 | オーストラリア・クロヌラ | アメリカ合衆国カリフォルニア州 |
オリンピック | 初出場 | 2回目(銀メダル1個) |
スタンス | グーフィー | レギュラー |
帰化 | 2023年11月 | 2018年 |
コナー・オレアリーが国籍変更した5つの理由!【まとめ】
サーフィン競技は、見た目のダイナミックな技や、波の上を滑るスピード感が魅力のスポーツです。
パリオリンピック会場となるサーフィンの島タヒチの景色も相まって、注目競技のひとつです。
東京オリンピックで見逃してしまった人も、ぜひパリ五輪ではサーフィン競技に注目してみてください。
それでは最後に今回の記事のまとめです。
- 母親が日本人だから
- ハーフの自分にしかできないこと
- 日本側からの打診
- オリンピック出場のため
- 若者の手本となるため
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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