1年秋から履正社高校のエースとしてチームを引っ張ってきた増田壮選手。
現在(2023年8月)行われている甲子園では、1回戦で7回無失点をピッチング・4打数4安打2打点の活躍で、履正社高校の勝利に大きく貢献しました。
今回は、
- 増田壮選手のプロフィール
- 出身中学・高校の紹介
- これまでの背番号や最速球速
について紹介して行きます。
増田壮(履正社)のプロフィール
参照:X(Twitter)
- 名前:増田壮
- よびかた:ますだ そう
- 生年月日:2006年1月30日
- 出身:大阪府枚方市出身
- 身長:170cm
- 体重:71kg
- ポジション:投手
- 所属高校:履正社高校
- 夏の甲子園の背番号:1
8月7日に行われた全国高校野球選手権大会1回戦 鳥取商戦にて、7回無失点・5回1アウトまでノーヒットの投球を見せ、打っては4打数4安打2打点の活躍。
投打で大車輪の活躍で、SNSでも話題になりました。
甲子園では背番号1を背負い、福田幸之介選手と共にダブルエースとして、チームを牽引しています。
増田壮(履正社)の出身中学校
増田壮選手の出身中学校は、長尾西中学校です。
中学時代は、学校の部活動には参加せず、寝屋川中央リトルシニアでプレーしていました。
寝屋川中央リトルシニアの監督は、元阪神の内野手:西田直斗さん。
西田さんは、大阪桐蔭の2年春に選抜大会に出場し、2012年ドラフト会議で阪神から3位で指名されます。
2018年までプレーし、その後はオーダースーツの訪問・受注販売の仕事をしながら、2020年10月から、寝屋川中央リトルシニアの監督に就任しました。
増田壮選手にとって尊敬する人物は、監督の西田さんです。
シニア時代、西田さんが打席に立ち真剣勝負を何度も移動んだそうですが、毎回打たれ、「まだまだ」とダメ出しをされてたそうです。
その後、履正社高校に進み、選抜大会出場した際に、西田さんから
「(大阪)桐蔭に勝てよ。桐蔭に勝ったら俺に勝ったのを認めたるわ」
参照:サンスポ
とハッパをかけられました。
選抜での対戦はありませんでしたが、夏の甲子園 大阪決勝にて、履正社高校は大阪桐蔭を破り、4年ぶりの甲子園出場を果たしました。
増田壮選手は、準決勝で登板していたので、決勝での登板はありませんでしたが、ダブルエースで親友の福田幸之助選手に託し、見事甲子園の切符を掴みました。
これまで何度挑戦しても勝てなかった西田さんに、高校3年の夏でついに勝ち、恩師に成長した姿を見せることができたのではないでしょうか。
参照:インスタグラム
増田壮(履正社)の出身小学校
増田壮選手の出身小学校は、藤阪小学校です。
小学校時代は、1年生で軟式野球:キングジャイアンスで野球を始め、6年生で山田池ファイターズでプレーをしています。
山田池ファイターズでの戦績についての情報はありませんでしたが、HPでは、増田選手が甲子園に出場することを祝福する投稿がされていました。
参照:山田池ファイターズ
増田壮(履正社)の家族構成
増田壮選手の家族構成は、父親・母親・兄・姉の5人家族です。
お兄さんは強豪 東海大大阪仰星で、お姉さんも同校のマネージャーをされていたそうです。
🌼秋季近畿大会🌼
第2試合 1回戦#履正社 10-2 #瀬田工 ※7回コールド
履正社のエース #増田壮 君が
6回無失点&3ランHRで投打の活躍🔥そんな増田君の兄は
強豪 東海大大阪仰星の野球部出身⚾️
姉も同野球部でマネージャーを務めました!
「2人が行けなかった甲子園の
夢を叶えて家族を喜ばせたい」 pic.twitter.com/fvjVfyIWwR— センバツLIVE! (@SenbatsuLIVE) October 23, 2022
母親は、あゆみさん(55)です。
父親に関する情報はありませんでしたが、3兄妹が野球をしていたことを考えると、父親も野球好きでよくキャッチボールをしていたかもしれませんね。
増田壮(履正社)の最速は?
増田壮選手の最速球速は143キロです。
150キロの豪速球があるわけではありませんが、
- 130〜135キロ代のストレート
- 110キロ代のスライダー
- 100キロ前後のカーブ
- 110キロ代のチェンジアップ
と多彩な変化球でバッターを翻弄していくのが持ち味です。
中でも、チェンジアップは大きな武器で、2023年全国高校野球選手権 鳥取商との1回戦では、ストレートとチェンジアップを駆使し、7回無失点に抑えました。
増田壮(履正社)の背番号
増田壮選手の夏の甲子園の背番号は1番です。
1年生の秋からエース番号を背負い、長年チームのエースとしてチームを引っ張ってきましたが、選抜では同じ左腕の福田選手に1を譲りました。
選抜初戦の高知戦では救援登板したが、もやもやとした気持ちがあり、試合に集中はできなかったそうです。
続く春の府大会でも4回戦敗退。
また、母・あゆみさんは、増田選手が選抜直前か5月中旬まで、夜に原因不明の高熱が出ていたことを出していたことを明かしています。
母・あゆみさん(55)は「夜になると『目の奥が痛い』と。日中もずっと熱がある状態だったみたいで、辛かったと思う」
参照:スポーツ報知
これまでずっとエースとしてチームを引っ張ってきた責任感や初めて1以外の背番号を背負う戸惑いがあったんだと思います。
ただ、その後、増田選手の中で考え方が変わり、
「もし自分がいいボールを投げても、チームが勝ち進めなかったら意味がない」と。
参照:朝日新聞
と考えるようになったそうです。
大阪大会の決勝では、増田投手ではなく福田投手が登板しますが、前日の準決勝で完投していたからこそ、万全の状態で繋ぐことができたと自負があったとのこと。
福田投手とはいつもキャッチボールし、プライベートでも一緒にカラオケに行くほどのニコイチ。
親友であり、ライバルという関係だったからこそ、プロからも注目される投手に成長したんですね。
まとめ
ここまで、増田壮選手について紹介してきました。
最後に本記事についてまとめをしていきます。
- 増田壮選手は1年秋からずっと背番号1を背負っている
- ライバル:福田幸之介はとても仲がよく、ニコイチ
- 最速は143キロ
- 家族構成は、父親・母親・兄・姉の5人家族
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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