ジャニーズ事務所の社長に就任された東山さんですが、若い頃の生い立ちがとても壮絶です。
2人の父親がおり、酒飲みで母や東山さんに対して暴力を振るう人だったとのこと。
今回は、
- 東山紀之さんの生い立ち
- ジャニー喜多川さんとの出会い
について紹介していこうと思います。
東山紀之の生い立ちが壮絶!
祖父から大火傷を負わされる
参照:カワサキ・キッド
東山紀之さんは、毎日筋トレを欠かさず、1日に腹筋運動1000回行いその生活を20年以上されているそうです。
筋トレを欠かさない理由はスタイル維持・体力維持だそうですが、もう一つあるそうです。
それは、幼少期に祖父から大火傷を負わされてた左足を庇うため。
東山さんの祖父は大酒飲みで、生後8ヶ月の頃、祖父が酔っ払い大暴れしてしまい、近くにあったポットをひっくり返してしまいます。
その結果、東山さんは左足に大火傷を負ってしまい、少し変形してしまったそうです。
火傷の影響は大きく、立ったり歩くのが他の子供よりも遅く、古代劇で草履を履くと痛むとのこと。
東山さんはこの左足のハンデを乗り越えるために欠かさず筋トレを続けている理由の一つだそうです。
3歳の時、両親が離婚
東山さんの父は2人いるのですが、1人目の父は東山さんが3歳の頃に離婚しています。
その原因は父親の借金で、祖父と同じで大酒飲みでギャンブル好きだったそうです。
自宅には父親の借金とりがやってきて、母は男たちの前で土下座をしていたそうで、その傍の畳に包丁が刺さっている光景が、今でも脳裏から離れないとのこと。
その光景を1歳の頃に見ていたそうなのですが、母が土下座する姿、畳に包丁が刺さっているという光景を見てしまったら、一生残るトラウマになっても仕方ないですよね。
当時、母は父親の顔も名前もずっと隠していたそうですが、偶然見つけた写真を見て、カッコよかったと振り返っています。
祖父はロシア人の血を引いていたらしく、東山さんはロシア人と日本人のクォーターということになりますね。
川崎市のコリアンタウンへ引っ越し
参照:カワサキ・キッド
両輪の離婚後、東山さんは川崎市のコリアンタウンに母・妹の3人で引っ越します。
東山さんは当時のことを「在日朝鮮人の方が持っている離れみたいな部屋を借りて暮らしていた」と振り返っていました。
母は2人の子供のために朝から晩まで働き詰めだったそうですが、コリアンタウンでの暮らしはとても貧しいもの。
妹は近所の友達の家にあまり物をもらいに行ったり、焼肉屋の朝鮮人母子から豚足を食べさせてもらったりと、周りの人たちに助けられ、とても感謝しているそうです。
また、遊ぶお金もないので、母からもらった銭湯代でゲームセンターに行き、風呂は学校のプールに飛び込んでいたとのこと。
遊ぶためにプールをお風呂がわりにしてたいという過去は壮絶すぎますね。
小学4年生、母親の再婚
小学校4年生の時、母が再婚をします。
2人目の父親は、母の4歳年下のトラック運転手で、最初はとても優しかったそうです。
東山さんの「東山という性を変えたくない」という意思を汲み、婿入りしたとのこと。
ここまでの話を聞くと、とても優しいお父さんですよね。
しかし、2人目の父親もお酒好きで、徐々に暴力を振い始めるようになったとのこと。
1回目の離婚の時に、母は東山さんに対して、
- 「男の人は結婚したら変わる」
- 「大人になってもお酒は飲んではいけない」
- 「ギャンブルもしてはいけない」
と常に言い続けてきたそうですが、母は2人目の父親の本性を見抜けませんでした。
また、2人目の父からの暴力に対して、母親は庇うことをせず、「お前が悪い」と言われていたそうで、東山さんの居場所は全くなかったとのこと。
せめて、母は味方でいてくれると思っていたのに、味方が誰もいなかった時の絶望感ははかりしれません。
この背景から、東山さんは早く自立したいと思うようになったそうです。
母親の借金
東山さんの母は理容師をしていましたが、生活が安定したわけではありませんでした。
そのため、バブル経済の末期に生活を安定させようと、自分のお店を開いたり、東山さんの将来のためにマンションをいくつか購入していたそうです。
バブル経済の末期、理容師の母は生活を安定させようと自分の店を開こうとしたり、僕の将来を思ってマンションをいくつか買っていたようです。それがバブルの崩壊で巨額の借金が残って……。僕が7〜8年かけて返済しました。
参照:女性自身
ただ、バブル崩壊をきっかけに巨額の借金が発生してしまい、その借金を東山さんが7〜8年かけて返済したそうです。
母親の借金を息子が返済していくというとても親孝行なエピソードですよね。
ただ、東山さんは、その際に商才のない母の血を引いているので、芸事以外のことには手を出さないと決めたそうです。
今回、ジャニーズ事務所の社長に就任されましたが、今後どうなっていくのか、筆者個人としては少し心配ではあります。
ジャニーさんとの出会いが転機となる
ジャニー喜多川さんとの出会い
参照:朝日新聞デジタル
ここまで、東山紀之さんの壮絶な生い立ちを紹介してきましたが、小学6年生の時、転機が訪れます。
東山さんが小学6年生の頃、渋谷のスクランブル交差点のパルコの前でジャニー喜多川さんから直接スカウトされます。
当時、東山さんの母はNHKセンター内の理髪店に勤めており、同局の音楽番組「レッツゴーヤング」の観覧チケットを母が取ってくれたので、春休みに友人と見に行ったそうです。
その帰りに、ジャニー喜多川さんから声をかけられ、スカウトされます。
「信号待ちで電話ボックスの前にいて。ジャニーさんが川崎麻世さんのマネジメントで『レッツゴーヤング』に来ていて、(ジャーニーさんが)電話を使おうと車を降りたら、その前の前に僕が立ってた。それで声をかけられた。『You、金八先生、見てる?』って」
参照:スポニチ
当時、東山さんはジャニーズ事務所もジャニー喜多川さんのことも知らなかったため、怪しんで見ていたそうです。
ジャニー喜多川さんの最初の言葉が、「金八先生見てる?」「電話番号教えて!」なので、それは怪しんで当然ですよね。
これが東山さんとジャニー喜多川さんの出会いです。
ジャニーズ事務所への入所
渋谷でスカウトを受けた東山さんですが、その後、ジャニー喜多川さんから横浜で中華を食べようと誘われます。
しかし、その道中で妹さんの体調が悪くなり、ジャニー喜多川さんの車で履いてしまい、結局、東山さんの自宅でお寿司を食べたそうです。
この時点で事務所入りは断っていたそうなのですが、妹さんの件もあり、菓子折りを持って、ジャニーズ事務所を訪れます。
しかし、事務所にてジャニー喜多川さんから
「YOU、行こうよ!踊っちゃいなよ!」と言われ、ステップを踏んだら、右手と右足が一緒に出てしまい、周りから笑われたそうです。
その悔しさからステップができるようになるという建前のもと、事務所に通うことになるのですが、それ以来ずっと東山さんはジャニーズ事務所に残っています。
ジャニー喜多川さんは東山さんの反骨精神を見抜いて、踊らせたのでしょうか。
東山さんの妹さんは、「今のお兄ちゃんがあるのは私が吐いたおかげよ」と言っているそうです。
きっかけは何にせよ、妹さんのおかげであるのは間違いないですよね。
ここから、ジャニーズ事務所の長男的存在、そして、芸能界で大活躍されるのですから、妹さんには感謝ですね。
東山紀之の現在の家族は?(母・妹)
東山紀之の母
現在、東山紀之さんの母親が何をされているのかはわかっていません。
年齢などはわかりませんが、東山紀之さんの年齢が56歳なので、70代後半から80代くらいではないかと考えられます。
昔は理容師として働かれていましたが、東山さんが芸能界で活躍され始めてからは、東山さんの生計だけで生活していたかもしれませんね。
東山紀之の妹
東山さんの妹は3歳年下の53歳です。
小さい頃は喘息持ちだったそうで、喘息を克服するために、バレーボールをしたり、学校を卒業後は自衛隊に入隊したそうです。
ジャニーズに入るきっかけは、妹さんがジャニー喜多川さんの車で吐いてしまったことですから、東山さんは妹さんに感謝しないといけませんね。
まとめ
ここまで、東山紀之さんの若い頃の生い立ちについて紹介してきました。
最後に本記事のまとめをして行きましょう。
- 東山紀之さんの過去はとても壮絶
- 2人の父親は酒飲みですぐに暴力を振るう
- 幼少期は川崎市のコリアンタウンで暮らす
- 小学6年生の時にジャニー喜多川さんとの出会いが転機となる
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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