パリパラリンピック車いすテニスの日本代表の小田凱人(おだときと)選手。
名前の読み方が難しいですが、由来はパリの凱旋門だそうですので、パリ五輪に運命的なものを感じますね。
2021年の15歳の時に史上最年少の世界ランキング1位になって以来、常に世界のトップ選手として活躍しています。
Google PixelのCMやほっともっとのCMにも最近良く出演し、その面でも国枝慎吾さんの後継者と言えそうです。
若くして才能を発揮し、世界で互角に戦う小田凱人選手が子供のころに発症した病気や、車いすテニスを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
失意した小田少年の辛いリハビリや練習に寄り添ってくれた両親や家族はどんな人なのでしょうか。
テニスの実力だけではなく、お顔もイケメンと噂の小田凱人選手が通う高校、彼女の存在も気になります。
小田選手の生い立ちや車いすテニスの戦歴、家族や彼女について調べてみましたので、ぜひ最後まで読み進めてみてください。
- 小田凱人と国枝慎吾との対戦成績は?後継者として活躍中!
- 小田凱人はイケメンで彼女がいる?生い立ちや家族構成も
- 小田凱人の車いすのメーカーは?
小田凱人は国枝慎吾の後継者!国枝選手からのエールを受けて
引用:小田凱人 インスタグラム
小田凱人選手は9歳のときに発見された骨肉腫による手術の影響で、車いす生活を余儀なくされました。
それまではプロのサッカー選手を目指し、練習に励んでいました。
大好きなサッカーが出来なくなった小田少年はテレビでロンドンパラリンピックで活躍する国枝慎吾(くにえだしんご)選手の金メダル獲得の姿に憧れ、車いすテニスの選手を目指します。
国枝選手の背中を追い、練習に励んだ小田凱人選手は14歳11か月でジュニア世界1位になり、15歳でプロに転向。
小田凱人選手はプロに転向後、国枝選手と4度対戦し、全て負けています。
1度も勝てませんでしたが、「今となってはそれが逆に良かったんじゃないかと思っています」と話し、その理由は「もし、勝っていたら相当満足し、テニス人生が一区切りついていたかもしれないので、勝てずに終わったからこそ、今も頑張れているように思える」とも。
国枝慎吾さんの引退発表直後に本人から小田凱人選手に電話があり、「これから車いすテニスを引っ張っていって」と言われ、今も深く心に響いているそうです。
国枝慎吾選手の思いを受け継ぎ、強い覚悟を持ち、「障害がある子の世界だけじゃなくて、車いすじゃない子どもたちにも試合をみた子にピンとくるような感覚を届けたいし、子どもたちのヒーローになりたい。」と話しています。
小田凱人の世界ランキングとウインブルドンでの戦績は?
引用:TENNIS magazin
小田凱人選手は2023年6月に開催された四大大会の全仏オープンで史上最年少で優勝し、世界ランキングも1位となり、史上最年少での記録となりました。
翌月に開催されたウィンブルドンも制覇しましたが、9月の全米オープンはまさかの初戦負け。
悔しさをバネに挑んだ10月の中国で行われたアジアパラ競技大会を制し、パリ五輪への出場が内定しました。
2024年は1月の全豪オープン、6月の全仏オープンで連勝しましたが、ウィンブルドンでは準決勝で敗退してしまいました。
パリパラリンピックでは、ウィンブルドンでの悔しさを晴らすために金メダルを目指しています。
小田凱人はイケメン車いすテニス選手!生い立ちは?
引用:パラサポweb
小田凱人選手はイケメン車いすテニス選手と言われています。
小田選手の生い立ちや車いすに乗ることになった経緯と病気、学校や彼女についても調べてみました。
車いすに乗ることになる経緯と病気について
小田凱人選手が車いすに乗ることになった経緯は、9歳の頃に発症した骨の悪性腫瘍である骨肉腫が見つかり、抗がん剤治療を行うが、股関節と大腿部の一部を手術で人工関節を入れました。
「もう走れなくなる」と医師に告げられ、手術の影響もあり、左脚が自由に動かなくなりました。
骨肉腫とは、10代から20代の若年者の膝の周りや肩の周囲に発生することが多くなりますが、高齢者にも一定の割合で発症し、治療方法は抗がん剤治療と手術(外科治療)からなり、手術における患肢温存率(切断をしないで足を残すこと)も約90%に達しています。欧米では治療における集約化も進んでおり、治療経験の豊富な施設で治療することが勧められます。
引用:国立がんセンター「骨肉腫」
当時の治療は辛かったようですが、本人のInstagramにあるように悪いことばかりではないし、失ったものよりも得られたもののほうが多いというポジティブな気持ちがあるから、世界のトップ選手になれたのではないでしょうか。
引用:インスタグラム 2022年9月25日投稿
少しなら歩けるまでに病気をリハビリ中
小田凱人選手は歩けるのではないか?とネットで噂になっています。
実際、短い距離なら杖を使い、歩けるようです。
小田凱人選手も筋力維持のため、普段の生活ではできるだけフロントクラッチを使って歩くようにしていると話しています。
引用:インスタグラム 2023/12/18
障害についての周りの手助けについても「この人は障害をもっているから」という理由なら「少し違うな」と感じるようで、手伝ってくれるのはうれしいし、ありがたいと思うが、障害者に限らず物を落としたなら拾って渡してあげられる世の中になってほしいと話しています。
障害は「病気=マイナス」ともハンディキャップとも思っていないという強い想いがあります。
幼少期からの生い立ちは?
引用:読売テレビニュース
小田凱人選手は愛知県一宮市で生まれ、幼い頃から足が早く、小学生のときはプロのサッカー選手を目指していました。
9歳の頃に骨肉腫で左脚の自由がなくなり、ロンドンパラリンピックで国枝慎吾選手の金メダル獲得を見て、車いすテニス選手になることを決断します。
「初めて競技用車いすに乗せてもらったのは、病院内にある体育館で、体験用の車いすでした。入院してからずっと感じていなかった〝風〞を感じられた。純粋に楽しかったことを、鮮明に覚えています」と語っています。
車いすテニスを始めてからは岐阜インターナショナルテニスクラブで熊田浩也コーチに指導を受けます。
熊田コーチ「車いすということは考えない。シンプルにテニスプレーヤーとして必要な技術を身に付けさせることに注力してきました」
引用:パラスポーツマガジン
小田凱人選手は、健常者と同じ練習メニューをこなしながらメキメキと実力を伸ばしていきました。
中学・高校など学歴は?
引用:インスタグラム 2020年5月8日 14歳
小田凱人選手の出身校ですが、小学校と中学校は地元の愛知県一宮市にある市立西成中学校に通っていました。
高校はN高等学校に進学していて、全国にキャンパスがある通信制の高校です。
現在、高校生ながらプロ選手として東海理化と契約しています。
中学を卒業して、プロになった4月〜5月は友達が楽しそうなSNSをあげているのがうらやましくなったそうで、学校とテニスを両立することに一生懸命だったころよりも、プロになりテニスを考える時間が多く、プレッシャーになったそうです。
通信制の高校はプロとしてはプラス面が多いので良かったそうですが、一番楽しみにしていた体育祭がないのが残念だと高校生らしい悩みも話しています。
留学なしで堂々の英語スピーチ
テニスの全仏オープン車いす部門の男子シングルスで、史上最年少優勝を飾った小田凱人(ときと)の優勝スピーチは、17歳の少年とは思えなかった。決勝を戦ったライバルへの敬意を英語で披露し、詰めかけた観衆へも感謝を忘れない。その後の記者会見での英語での対応も、実に堂々としていた。
引用:文・朝日新聞デジタル 画像・Asia News Today youtube動画
勉強は不得意だという小田凱人選手ですが、テニスの先輩から「英語だけはやっておけ」という言葉で一念発起し、英会話スクールに通うこともなく、海外遠征が増えたこの2年で、テニスの技量と比例して英語も上達していったそう。
とにかく、努力の人だということがよくわかるエピソードですね。
イケメンだけど彼女はいるの?
イケメンと噂の小田凱人選手ですが、彼女の存在はどうなのでしょうか?
小田凱人選手の彼女について、2023年10月に出演したテレビ番組で彼女がいることを幼馴染が暴露しています。
また、小田凱人選手の好みのタイプはキレイ系な女性で、彼女もキレイ系でキリッとした女性だとも明らかにしていました。
詳細は不明ですが、高校生になってからのお付き合いのようです。
小田凱人の家族構成は?
引用:読売テレビニュース Youtube動画
小田凱人選手の家族は両親と姉と弟の5人家族です。
家族の仲は良く、小田凱人選手の試合には家族全員で駆けつけることもあるようです。
小田凱人選手の両親や兄弟について調べてみました。
ご両親【父親や母親】はどんな人?
小田凱人選手の父親については、名前や年齢などは公表されておりませんが、車いすテニスを始めたころは、近くの公園で練習相手になり、ギターが好きで、小田凱人選手も最近はお父さんのギターを借りて練習しているそうです。
試合に勝った後のパフォーマンスのラケットをギターに見立てガットをかき鳴らします。
引用:読売テレビニュース Youtube動画
母親の小田直子さんも詳細は明らかにはなっていませんが、以前、読売テレビのインタビューに答えています。
小田凱人選手が車いすテニスをしたいと言ったときは「楽しみを増やしてあげることしかできなかった」という思いから、「退院したらすぐやろう!」と励ましたそうです。
両親の思いはしっかりと小田凱人選手も通じ、退院から一年後の学校で行われたニ分の一成人式で「海外で活躍する選手になって、お母さんやお父さんに恩返しがしたい」と手紙に書いて読み上げたそうです。
夢が現実となり、ご両親も喜んでいることだと思います。
兄弟はいるの?何してる?
小田凱人選手は3人兄弟で姉と弟がいます。
お姉さんの情報は特にありませんでした。
弟は桃次郎くんという名前で、小田凱人選手の4歳下です。
桃次郎は小田凱人選手のことを尊敬していて、新聞に記事が出ると学校に持っていき、友達に見せているそうです。
引用:インスタグラム
2023年には、桃次郎くんがJA全農杯全国小学生サッカー大会in東海で優勝し、小田凱人選手がNECマスターズで最年少優勝をしたことを記念して一宮市の表彰式で揃って表彰されました。
自分が断念したサッカーで弟が活躍するのは嬉しいでしょうね
小田凱人の車いすメーカーを教えて!
引用:協同組合ハミング
小田凱人選手の車いすメーカーは12歳の頃から提供されている橋本エンジニアリングのテニス競技用車いすです。
12歳のときの小田凱人選手のプレーを見た橋本社長が「ガッツもハングリー精神もすごくあって、力強いテニスをするな、って。この子に、うちの車いすに乗ってもらいたい。かけてみたいと思った」そうです。
橋本エンジニアリングはものづくりの会社で、メイン事業は金属の試作部品とアルミ鋳造品の品質評価の会社です。
2017年に浜松の11社の技術を合わせ、世界最軽量のマグネシウム製車いすを開発しました。
2017年に車いすテニスプレイヤーの田中愛美(たなかまなみ)選手の競技用車いすの開発を始めました。
現在は小田凱人選手や田中愛美選手、車いすラグビーの池崎大輔選手と契約し、各選手のフィーリングにあった軽くて強い車いすを開発しています。
小田凱人は国枝慎吾の後継者!イケメン車いすテニス選手の生い立ち【まとめ】
パリパラリンピック車いすテニス代表の小田凱人選手について紹介しましたがいかがでしたでしょうか。
そんな小田凱人選手についてわかったことは、
- 小田凱人選手は9歳のころに骨肉腫が発症し、車いす生活になり、国枝慎吾選手のロンドンパラリンピックの金メダルの姿を見て車いすテニスを始める
- 小田凱人選手は世界ランキング1位で、四大大会の全豪、全仏、ウィンブルドンで優勝している
- 小田凱人選手は愛知県一宮市で生まれ、小学、中学は地元の学校に通っていたが、高校は通信制のN高等学校に通っていて彼女がいる
- 小田凱人選手は両親と姉、弟の5人家族で仲が良く、試合には家族全員で応援に行くことがある
- 車いすは橋本エンジニアリングの製品で12歳から契約している
パリパラリンピックでの活躍は間違いないと思いますので、国枝慎吾選手のように金メダルを獲って子どもたちのヒーローになってください!
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